本中が廻れますか、第一食べても行かなけりゃならず、路用も少ないことじゃないでしょうし……」
 実際の生活と、経費の問題からさとらせてゆこうとしたが、与八は更に動ずるの色なく、
「ええ、そのことは心配ねえんです、わしらは、この一本の鉈《なた》を持って行きますよ」

         七十三

 与八は郁太郎にかけていた片手を離して、帯に吊《つる》してあった一梃《いっちょう》の鉈にさわってお松に見せ、
「わしは、東妙和尚さんから、この鉈を使うことを教えられている、これが一梃あれば、どうやら、物の形が人様に見せられるようになったから、これを持って、彫物《ほりもの》をしながら、日本中を歩いてみてえつもりだ」
「まあ……では、永い間の心がけね」
「ああ、東妙和尚さんもそう言わっしゃった、与八、それだけ腕が出来たら、もう田舎廻《いなかまわ》りの彫物師の西行をしても食っていけるぞい、と言われました時から思い立ちました、行くさきざき、何か彫らしてもらっては、草鞋銭《わらじせん》を下さるところからはいただき、下さらねえ時は、水を飲んで旅をしてみようと、心がけていたですよ、お松さん。そうして、まずこれから
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