のか、ゆもじ[#「ゆもじ」に傍点]とでもいうのか、それとも腰巻か、ふんどしか、何というのが本名か知らないが、兵馬は、その緋縮緬のずるこけ落ちた代物を、さんざんに蹴飛ばしておいて、その場を立去りました。

         六十九

 その翌朝になると、まず兵馬は、昨晩、高山の市中に変ったことはなかったか、その風聞を聞きたい気持に迫られました。
 黒崎君に聞いてみると、黒崎君もあれから、邸《やしき》の内は無事過ぎるほど無事で、あんまり無事だから寝込んでしまって、いま、眼がさめたばっかりというような始末。そのほか、家の子郎党、内外の出入りの者からも、何も変った事件が、出来《しゅったい》していたというような報告に接することができませんでした。でも、昨晩のことが、なんとなく気にかかりもする。遠くもあらぬところだから、朝の稽古前に兵馬は邸を飛び出して、昨晩のあの高札場のところまで行ってみました。
 昨晩の夜の色を、今朝の朝の色に塗り換えただけで、何の異状はありません。問題の代物はと見れば、これも昨晩、自分が蹴飛ばし、蹴飛ばして置いた通り、まだ、誰人の目にも触れないで、素直に高札場のうしろに、かが
前へ 次へ
全323ページ中219ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング