おやじよ、あわてて井戸へおっこったらしいが、危ないこった。それをみすみす、手を出してやることもできねえで、命からがら、ここまで逃げのびたがんりき[#「がんりき」に傍点]の心根が、自分ながらつくづく不憫《ふびん》でたまらねえ。がんりき[#「がんりき」に傍点]の百ともあるべきものが、飛騨の高山へ来て、辻斬のお化けにおどかされたとあっては、もうこの面《つら》は東海道の風にゃ吹かせられねえ――憚《はばか》りながら、このがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵は、見てくんな、こうして右の片腕が一本足りねえんだぜ、向う傷なんだ。この片一方の腕に対《てえ》しても、面《かお》が合わせられねえ仕儀さ。何とかしてこの腹癒《はらい》せをしねえことには、この虫がおさまらねえ。といって、気の利《き》いたお化けはもう引込んでいる時分に、またも現場へ引返して、虚勢を張ってみたところで、間抜けの上塗りであり、抜からぬ面をして、おじいさん、井戸は深いかえ、も聞いて呆《あき》れる。
いったい、ここはドコなんだろう。お寺だな、かなり大きなお寺の門だ。なあるほど、飛騨の国は山国だけあって木口はいいな、かなりすばらしいもんだが
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