ナにかかっただけのものです。
 後ろ足の一つをワナに挟まれた貉が、必死の悲鳴と、全身の努力を以てそれを脱せんと悶《もだ》えているところです。そうすると、やや暫くあって、他の一方の蘆葦茅草の中から、むずむずと出て来たものがある。それが同じく貉の一つで、前の貉は一足をワナにはさまれている、後の貉は、どこもはさまれてはいないが、見捨てられない愛着に繋がれているらしい。多分一方が雌で、一方が雄なのだろう。
 人の足音によって、いったん、離れたが、その足音が止んだらまた出て来て、はさまれないのが、はさまれたのを救済にとりかかっているのだ。しかし、この救済は、徒《いたず》らにうろうろするだけで、ワナにかかった一方の貉の煩悶《はんもん》を救うことも、束縛を解放してやることもできないのです――二つ相抱いて周章狼狽、輾転反側《てんてんはんそく》している。
 やがて、いっそう恐ろしい悲鳴と、絶叫との後に、とうとう一方が一方を解放して、そうして二匹相つれて一目散に逃げ出したことです。
 さては、ワナが破れた。仮りにも人間の手を経て作られたワナは、さる小動物の蠢動《しゅんどう》によって、左様に容易《たやす》く
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