れながら、河原道を飛んで、時には、水たまりへぐちゃりと足を入れたりなんぞして、前をながめ、後ろを顧みながら辿《たど》って行くと、草むらの中に、ひときわ白いもののあるのが眼につきました。
「おや?」
白い、長い、箱のようなもの、遠火の光にあおられてありありとそれを見出したのは、やっぱり長い箱に相違ありません。
長持にしては白過ぎると思いました。
でも、それが何のために、こんなところに存在するかを想像するのは難事ではない。大事なものを持ち出して、ワザとこんな遠くへまで置きっぱなしにして行ったのは、もうげんじ[#「もうげんじ」に傍点]たわけではない。火事に顛倒して、我を忘れた狼狽の沙汰ではない。荷物を持ち出す時の目測では、もうこの辺まで持ち出せば大丈夫、と安んじていたものが、いつしか、火勢に先んぜられて混乱の渦に没してしまうことが多い。そんな途方もないところまで運ばなくてもと、物笑いになるほどの心配がかえって賢明に、安全を贏《か》ち得るということはよく経験するところです――お雪ちゃんは歩むともなく、その置きっぱなしにされた白い、長い箱の傍に寄って見ると、果して長持ではない。
「おや――」
前のは単なる驚異でしたけれども、今度のは、恐怖を伴う叫びでした。
何です、これは、縁起の悪い、棺《ひつぎ》ではありませんか、寝棺《ねかん》ではありませんか。おおいやだ、寝棺が捨てられてある。
お雪ちゃんはそれを見まいとして走りました。
あれだけの寝棺では、かなり立派なお家の葬式であろうけれど、入棺間際に火事が起って真先にあれを担《かつ》いで避難はしたが、死んだ人よりも、生きている人の難儀の方が大事である場合、ぜひなく棺はあのままにして、また火事場へ取ってかえしてしまったのだ。
それにしても、この際、棺をここまで持って来て避難させるまでの熱心があるならば、誰か一人ぐらいは、ここに番をしてあげたらよかりそうなもの、よくよくの場合とはいえ、捨てられた仏がかわいそうじゃないか、ひとりでこんなところへおっぽり出されて、もし狼か、山犬にでも荒されるようなことがあったならば、いっそ、火事場へ置いて焼いてしまってあげた方が功徳《くどく》じゃないかしら。
お雪ちゃんはこんなことを考えながら、眼をつぶって屋形船の近くまで走って来てしまいました。
三十
この屋形船の中
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