わせているように、白雲に想像されてならない。
 大言壮語をする奴は多いけれども、たった一人になっても、本当に謀叛《むほん》のできる奴はいくらもあるものではない。
 大勢《たいせい》の順逆は論外として、とにかくこの男は、本当に謀叛をやれる奴だ、謀叛人の卵だ、と白雲が、同行しながら、雲井なにがし[#「なにがし」に傍点]に向って舌を捲きました。
 道は山路をとって磐城平《いわきだいら》へ通ずるところ。

         二十七

 煙にまかれて、雨戸をしめきったお雪ちゃんは、次の間へ飛んで出て、
「久助さん、久助さん、火事ですよ」
と言い捨てて、そのまま、あわただしく二階へかけ上ってしまい、
「先生、火事でございます、早くお仕度なさいまし」
 言われるまでもなく、この時、竜之助はもう心得て、身のまわりのものを掻《か》き寄せていたところでした。
「お雪ちゃん、気をつけるといい、火事の時は、明るい方へ逃げないで、暗い方へ逃げるものです」
「先生、早くなさいまし」
 お雪ちゃんは、竜之助の手を取って引立てようとしたが、人を急《せ》き立てる自分こそかえって、あわてていて、ねまき一つのまんまで騒いでいるのに、竜之助は、身のまわりのもの、少なくとも大小、懐中物だけは、抜かりなく用心した上に、頭巾《ずきん》を手に取り上げています。
「さあ、降りましょう、ああ、いけません、こちらは明るい、この裏梯子から」
「ああ、先生、わたしは、もう一ぺん自分の座敷へ戻らねばなりません」
「それは危ない」
「でも……」
「命には代えられません」
 その裏梯子を下りる時には、お雪ちゃんが竜之助を導くのではなく、むしろ、竜之助がお雪ちゃんを抱えて、静かに下りて行くのを見ましたが、火は、煙は、遠慮なくその後を追いかけて、姿そのものを捲き込んでしまいました。
 こうして二人は、ほんとうに身を以て、裏梯子から、すぐ家の欄《てすり》の下の桟橋《さんばし》に立って、河原を走ることになりました。
 お雪ちゃんこそは、全く身を以て逃れ出たもので、自分が一番先に発見したという立場から、まずもって急を久助さんに告げ、その足で、二階へ、竜之助に告げに行った。その次の仕事としては、もう、どうしても自分の部屋に戻ることはできませんでした。
 部屋そのものに名残《なご》りの残るわけではないが、そこには、自分の身のまわりの一切のもの
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