えないのですから、秀吉を仮りに保護者としておきましょう――しかし保護者といったところで、秀吉は永徳にとって、贔屓《ひいき》の旦那でもなければ、永徳は秀吉のための御用絵師でもなく、見ようによっては、秀吉はどうしても、その事業の光彩のために、永徳がなければ片輪者になるし、永徳はまた秀吉を待ってはじめて、その大手腕を発揮することができたのですから、もし仮りに永徳が秀吉の御用絵師ならば、秀吉はまた永徳のための御用建築家をつとめたとも言えるでしょう。永徳あって秀吉の土木が意味を成したので、永徳がなければ、単なる成金趣味の、粗大なる土木だけのものでした……
 かように永徳は、狩野の嫡流《ちゃくりゅう》から出たのですから、漢画水墨の技巧は生れながら受けて、早くこれに熟達を加えているのに、大和絵の粋をことごとく消化している、そうしてそれを導く者が、一代の巨人秀吉であり、その秀吉以上の天才信長であったから、惜気もなくカンバスを供給して、そのやりたいだけのことをやらせ、伸ばせるだけの手腕を伸ばさせて、他に制臂《せいひ》を蒙《こうむ》るべき気兼ねというものが少しもない、『画史』によると、松と梅の十丈二十丈の物を遠慮なく金壁の上に走らせている、古来日本の画家で、永徳の如き巨腕を持ったものはあるかも知れないが、その巨腕を、縦横に駆使すべきカンバスを与えられたこと永徳の如きはあるまい。彼は文字通りの大手腕を揮《ふる》うのに、注文通りの恵まれた材料を与えられている、幸福といえば無上の幸福者です――貧弱を極めた我々貧乏絵師の夢にも及ばないこと――だが彼は本来、大作に余儀なくされて、大作を成した男ではないのですよ、『画史』にありますね、『山水人物花鳥皆細画ヲ為《な》ス、間《まま》大画有リ』というのですから、むしろ細画に堪能《たんのう》で、そうして大物をこなすのが本当の大物です。大小ということはカンバスの面積の問題ではないのですが、古来これにひっかからない画家はほとんどありますまい。骨法の皆伝を父祖に受けたけれども、自然の観照は独得です。まあ、絵の骨法も正格だが、自然を観照するの正しいこと――忠実なこと、謙遜なこと、素直なこと、『細画ヲ為ス』の『為ス』というのは、その意味にとりたいくらいです。永徳が、いかに骨法に正格に、自然に忠実であるかということは……どうも、ここで君たちに口で説明するということがで
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