です。そこで、よって、彼を世界の第一流とは言えるかも知れないが、日本を代表しての古今独歩とは推《お》し難い……日本を代表する以上は、そのすべてが日本化されて、そうして独自の境に立って、天下を睥睨《へいげい》するという渾成《こんせい》と、気魄《きはく》が無ければならないのです。そうして、優にそのすべてが備わっているのは、狩野永徳がただ一人です。永徳を日本第一、古今独歩と私が推称するのは、大体そんなような理由ですが、もう少し、それを分析しないと、いくら素人《しろうと》でも、君たちにわかるまいと思うから……」
 ここで、また酒をとって飲みました。主人ともう一人の客は、あながち、白雲の気焔を否《いな》まずに聞いているから、白雲が続けました、
「永徳は元信の孫です。元信は御承知の通り古法眼《こほうげん》で、この人もまた、ある点では永徳以上のものを持っていました。いったい狩野家には、代々豪傑が現われたこと不思議と思われるばかりですが、古法眼を祖父として、松栄を父として生れた永徳が、生れながら、すでに名匠の血を持ち、むつきの間から丹青の中に人となり、後年大成すべき予備と、練熟とは、若冠のうちに片づけてしまったこと、我々貧乏人が中年から飛び出して、やっと絵具の溶き方がわかった時分には、もう白髪になってしまっているというような大悲惨な行き方とは、天分の恵まれ方が違っていましたね。基礎学は子供のうちに叩き込んでしまって、一意、自家の大成に全力を注ぎうるように仕組まれていた彼の境遇も、仕合せといえば言えますが、天はその実力なき者に、優越の環境を許すものではありません、時代は永徳を現わさねばならぬようになっていたから、優秀な上に、優秀な待遇を与えて世に送り出しました。実際、彼ほど偉大な日本画家はない如く、彼ほど恵まれた環境を持った画家もありませんでした――祖父に元信があり、漢画と大和絵を融合して、日本の絵の技術を総合した上に、保護者が、その天下第一の英雄である秀吉であり、その秀吉よりもいっそう天才である信長でしたからね」

         二十四

「秀吉が永徳の唯一の保護者というわけではないが……永徳は信長のためにむしろ傾注していたに相違ないが、安土《あづち》の城が焼けると信長の覇業《はぎょう》が亡び、同時に永徳の傾注したものも失せました。そこで、秀吉はつまり信長の延長といってさしつか
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