並みに気になり出して
来た次第であります……
[#ここで字下げ終わり]
出鱈目《でたらめ》であるが、その声がすみ、おのずから調子がととのい、それに海の波の至って静かな夕べでしたから、出鱈目の散文が、やはり詩のようになって聞えました。
出鱈目とはいえ、即興とは申せ、これはまた途方もない。しかし、この少年は、いつか一度耳に触れたことは、脳によって消化されても、されなくっても、時に随って、必ず反芻的《はんすうてき》に流れ出して、咽喉《のど》を伝わって空気に触れしめねばやまない特有の天才を備えているのですから、いつ、何を言い出すか、それは全く予測を許されないのですけれども、いかに天才といえども、無から有を歌い出すことはできますまい。
三
清澄の茂太郎はこうして竜燈の松のそばまで来た時、突如として脱兎《だっと》の如く走り出しました。
いつもならば、馴染《なじみ》の竜燈の松に腰うちかけて、即興詩の一つもあるべきところを、今宵はその松の木の前を脱兎の如く、全速力で、眼をつぶって走り去るのは、何か怖ろしいものを感じたからでしょう。怖ろしいものといっても、この子は、すでに世間並みが怖れるところの猛獣毒蛇をさえ怖れないし、日月星辰をも友達扱いにしようとするほどのイカモノですから、特にそんなに怖れるものは無いはずだが――さては、いつぞやお杉の女《あま》ッ児《こ》をおびやかした海竜でも、本当に出現したのかな。
ところが、その海竜は、この子には恐怖の対象ではなくして、風説の製造元であったのだから、海竜もまた親類であるべきはず。
では、何を怖れたか。つまり、この子の怖れるものは人間のほかにはないのです。人間につかまえられて、人気者に供される以上の恐怖は、この子には無い。
甲州の上野原でも、こんなように無邪気になっているところを、不意にがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵なるならず[#「ならず」に傍点]者につかまって、いやおうなしに江戸へ拉《らっ》し去られてしまったではないか。幸い、江戸に於て田山白雲を見出して、その背に負われて、この房州へ連れられて来たが、怖れるところのものは、右様の人間のほかには、この少年の前にはありません。
多分、そんなような、胡散《うさん》な者を、たった今眼前に於て、感得したればこそ、彼はかくも一目散《いちもくさん》に走り過ぎたもの
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