たくしの力ではござりませぬ、そうかといって、わたくしを助けてお連れ下さった猟師さんや、鐙小屋《あぶみごや》の神主様のお力というわけでもござりませぬ、全く目に見えぬ広大な御力の引合せでございまして、この広大な御力が何故に、わたくしをたずねる人の、すでに行き去ったあとのここまで導いて下さったか、その思召《おぼしめ》しは今のわたくしではわかりませぬ。わからないのが道理でございます、分ろうといたしますのも僭越でございますから、導かれた時は導かれたままに、そこに己《おの》れの全力を尽して善縁を結ぼうという心が、すなわちわたくしどもの為し得るすべてでなければなりませぬ。古人は随所に主《あるじ》となれと教えて下さいましたが、どうして、どうして――わたくしなんぞは随所に奴《やっこ》となれでございます。どうぞ皆様、この不具者《かたわもの》のわたくしでよろしかったならば、何なとお命じ下さいませ、琵琶は少々心得ておりまする、何卒、この不具者にできるだけの仕事をさせて、可愛がってやっていただきとうございます。ああ、いい心持になりました、白骨のお湯は、わたくしの骨まで温めてくれました。わたくしはこれから、皆様の炉辺閑話の席へお邪魔をいたして、また温かいお心に接し、あたたかい焚火にあたらせていただき、皆様のお話をおききしつつ――わたくしも心静かに、お雪ちゃんの行方《ゆくえ》を尋ねたいと存じます」

         九十九

 弁信法師が浴槽から上って、例の炉辺閑話の席を訪れた時に、炉辺には、また例によっての御定連が詰めかけておりました。
 御定連といううちにも、お雪ちゃんもいないし、久助さんもいないことは勿論《もちろん》だが、池田良斎を中心にして、北原賢次もいれば、いつもの甲乙丙丁おおよそ面《かお》を揃えている。ただ見慣れない猟師|体《てい》の人が一人、推察すれば多分、いま、浴槽の中で、しばしば弁信法師の口に上った黒部平の品右衛門爺さんであろうと思われる顔が、新しい。
 炉の中心には、例の大鍋がぶらさがっていて、それには大粒の栗がゆだりつつある。炉中の火は、木の根が赤々と燃えて、煙は極めて少なく、火力が強いから、煙の立たない石炭を焚いているようで、一方には大鉄瓶がチンチンと湯気を吐いている。なおまた炉中には、蕎麦餅《そばもち》らしいのが幾つも、地焼きにころがしてある。外気が寒くなるにつれて、
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