お眼ざめあそばせ」
枕にした脇息を揺り動かされたことによって、酔眼をパッと開いて、朦朧《もうろう》として四辺《あたり》を見廻すと、夢からさめて、また一層の夢心地に誘い入れられたことは幸いでした。そうでなければ、甘睡半ばで揺り動かされた癇癪《かんしゃく》が、酒乱の持病を引きつれて、ガバと爆発したかも知れない。
「何だ、これはどうしたものだ」
あたりは、ぼうっと紅《べに》のように明るい。それに、この座敷の襖が、すっかり通して取払われ、大きな踊りの間になっている。踊りの間は勾欄《こうらん》つきで、提灯や雪洞《ぼんぼり》が華やかに点《つ》いている――
ははあ、いつのまに、伊勢古市の大楼あたりへ、持ち込まれたか知らん――という気になりました。
なお、よく眼をさまして見ると、舞台がある、花道がある。舞台の上には一人の俳優が、槍を持って立っている。
ははあ、踊るんだな、まだ充分さめきらぬ眼で、その俳優の風俗を見ると、それは絵で見た水木辰之助の槍踊りというようなものに、そっくりです。
主膳が、眼を、拭って起き直った時に、踊りがはじまる。
槍を上手に扱って、その少年俳優が鮮かに踊る。
主膳は、うっとりして、眼をすましたその途端に、三味線と、太鼓と、拍子木が入る。踊りも古風でよくわからないが、耳をすましてみると、
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槍師槍師《やりしやりし》は多けれど
名古屋山三《なごやさんざ》は一の槍
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というような、古謡がはさまれている。
「殿様、お気に召しましたか」
これはしたり、自分の席の後ろには、お倉婆あが、かいどり姿ですまし返って坐っている。
「うむ」
「お気に召しましたら、お手拍子をあそばしませ」
お倉婆あも、手拍子を打つから、主膳もそれにつれて、
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槍師槍師は多けれど
名古屋山三は一の槍
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とうたいながら、主膳も思わず手拍子を打つと、美少年は喜んで踊りながら、
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トコトンヤレ
トコヤレナ
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という。お倉婆あが、
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女かと見れば男の万之助
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とうたうと、俳優が、
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ウントコトッチャア
ヤットコナア
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と合わせて槍を振る。
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