代物《しろもの》が一つ舞い下りて来たのだから、助平共が騒があな。おれは騒がなかったけれども、おれたちの仲間の不良共は騒いだよ。その別嬪《べっぴん》の女角力の名は、この家のお倉婆あと同じことに、おくら[#「おくら」に傍点]という名だったが――そのおくらが問題なんだ」

         八十九

 こういう話をはじめ出した時に、主膳がいよいよ興ざめたのは、この女が興にのって膝を乗出して来ることでした。
 このおれの監視役兼取押え方を命ぜられて出張しているくせに、こちらの挑発にひっかかって、女角力《おんなずもう》の昔話にうつつを抜かそうとするこの女の馬鹿さ加減が、いよいよ浅ましくなりました。女角力というものの存在は、つまり自分というものの存在の侮辱だとは感じないで、一緒になって、その侮辱を享楽しようという気乗り方に、主膳はすっかり興をさましました。
 興をさましたとか、浅ましく感じたということは、主膳に於て、そこで、うんざりして抛棄《ほうき》するという意味にはならない。こちらが興がさめて、浅ましく感ずれば感ずるほど、そちらが興に乗って、息をはずませて来ることの皮肉をよろこんでいる。
「ところで、おれたちの仲間の不良共が、十余人連合して、その別嬪《べっぴん》の女角力、おくらというのに注文をつけたのだ。その注文というのは……つまり、そのおくらに『娘一人に聟《むこ》八人』をやらせろということなのだ。『娘一人に聟八人』――それはお前も知っているだろう。知らない? 知らなければ話して聞かせる……」
と言って、神尾主膳は「娘一人に聟八人」の故事を話し出す前に、盃を取って、おせいの眼の前に置くと、おせいは無条件になみなみとついでやる。その無条件になみなみと注ぐ手つきを見て、神尾が勝ち誇ったような面《かお》をしてニタリとする。当然、この女は監視役と取押え方心得も忘れてしまって、神尾主膳がおもしろい話をしてくれさえすれば、いくらでも酒を注いでくれることにまで軟化しきっていることを認めたから、そこで主膳がニタリとする。さて一盃傾けて話し出したのは――
 自分は仲間に加わらなかったが――と特に念を押しておいて――自分たちの友達の不良が、十名連合して、女角力の美人のおくらを目あてに「娘一人に聟八人」のお好みをつけたというのは、要するに、そのおくらという女角力の裸体だけでは物足りない、どこからど
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