慢の髷《まげ》つぶしに、その猫が取りつく。
「あいつ、あいつ……これはまた恐れ入りやした、悪い洒落《しゃれ》でございます。猫を背負うとてお背中をかっかじられやせぬものを……これこれ、わりゃ、身共がつむりを噛《か》んで何と致す」
 金公は、頭へのせられた猫を取下ろそうとしたが、猫が髷に爪をからんで離れない。金助がいよいよ騒げば、猫がいよいようろたえる。その結果はさんざんに、髷と額をかっかじる。
「こりゃこれ、男の面体《めんてい》へ」
とかなんとか言ったが追附かない。
 それを見て神尾は、面白がって笑う。
 結局、金公は、自力ではこの猫を自分の頭から取外《とりはず》すことができないことになる。取外して外せないことはないが、強《し》いてそうすれば、自分の髷を全部犠牲にしなければならぬ、その上、この頭の部分に負傷する虞《おそ》れもあるから、今のところでなし得ることは、じっと動かないよう、猫を頭の上に載せたままで、両手をあげて抑えているだけのものです。
 抑えられた猫は、その窮屈に堪えないで動こうとする。そのために、痛い思いを我慢する金公の面を見て、主膳が大声をあげて喜ぶ。
 結局、金助は、この場にいたたまらず、猫を頭に載せたままで、下の座敷へ向って逃げ出し、誰ぞもう少し好意を持った相手の力を借りることよりほかに、最上の道はないことを知った。
 そうして、金助を追払ってしまった後の神尾主膳は、脇息を横倒しにして、それを枕に天井に向って、太い息を吹きかけながら横になりました。
 男色を弄《もてあそ》びに来たということが、愉快を買いに来たのではなく、男性というものの侮辱ついでに、もう一歩進んで侮辱を徹底させてやれ、というような残忍性が、主膳をこんなところに導いたものである。侮辱というけれども、この場合、主膳自身が侮辱されたわけではないが、侮辱されている男性の端くれを、日本橋で見たのが、男色を商《あきな》うやからに似ていると言われたついでに、男性が男性を侮辱するも一興だろう、とこんな謀叛心《むほんしん》で――ここへやって来たものだから、なにも特別に執着を感じてはいない。
 横になって、そうしてやっぱりこの倦怠した、この不安、不快な気分をどうしようという気にもなれない。
 結局、酒に限る――酒に落ちゆくよりほかののがれ[#「のがれ」に傍点]場はないというに帰する。

        
前へ 次へ
全162ページ中135ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング