「うむ、後学のためにひとつ、見て置いてもよかりそうだ」
「ぜひ、そうなさい……では、そのつもりで乗物を言いつけましょう」
「まあ――待ってくんねえ、お腹がすいたから、兵糧をつかってからのこと」
「やりやがる」とか、「待ってくんねえ」とかいうような言葉が、主膳の口から時々ころがり[#「ころがり」に傍点]出すのは、氏《うじ》より育ちのせいでしょう。

         七十九

 主膳とお絹とは、御飯を食べながら、しきりに異人館の話をしています。
 話といっても、主膳は受身で、お絹だけが乗り気になって、珍しいものの数々を、ひとり合点《がてん》の受売り話みたようなものです。
「それからねえ、異人にもずいぶん、別嬪《べっぴん》がいますとさ」
「そうか」
「あなた、異人の別嬪さんを、ごらんになったことがありますか」
「毛唐の女なんて、まだ見たことはない」
「ところがね、その異人館にはね、そこの大将の奥様で、素敵な異人の別嬪さんが来ているんですとさ」
「うむ」
「それに、女中たちも、異人国からなかなかすぐったのを連れて来ているそうですよ」
「毛唐の女にも、別嬪と不別嬪の区別があるのかなあ、髪の毛が赤くって、眼の玉の碧《あお》い奴にも、美と不美とがあるのか知らん」
「そりゃ、ありますともね、そうして、その異人館の奥さんが別嬪の上に、異人館の主人がまたいい男なんですって」
「毛唐の女に、美人と不美人がある以上は、男にも、やっぱり好い男と、悪い男との区別があるだろう」
「ありますともね。そうして二人とも、大へん仲がよくってお世辞がよく、日本の言葉が少しはわかるんですって。そうして御亭主の方が、ワタクシ奥サン美人アリマス――なんて言うと、奥さんの方が負けずに、ワタクシ旦那異国一番イイ男、なんて、手ばなしでやるもんですから、それが異人だけに愛嬌になって、大へんな人気だそうです」
「毛唐にも、相当に洒落者《しゃれもの》があるのだなあ」
「あなたはそう毛唐毛唐とおっしゃるけれど……あなたばかりではない、日本の人はみんな毛唐毛唐って、人間じゃないように言うけれど、つきあってみると、どうして異人の方が、よっぽど日本人より捌《さば》けていて、物のわかったところもあれば、人情も深いところがあるのですとさ」
「毛唐にも、そんな人間らしい心があるのかなあ」
「大有りですとさ。その証拠には、日本の女でね
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