す。
それを、縁側へ出して置くと目にとまり、座敷へ投げて置くと目にちらつくものですから、戸棚へ入れましたが、それでも鼠が心配になったのか、とうとうまた衣桁へかけて置くほかに、せん術《すべ》がないようになって、もうこの座敷へ入る早々、眼につくという始末です。
お雪ちゃんは諦《あきら》めました。こうまでついて廻るのは、これも因縁というものに違いない、あのおばさんが、わたしの傍にいたいとの心持があって、この着物にその心持が乗り移っているとすれば、粗末にもならないじゃありませんか。
イヤなおばさん――と通り名にはなっているが、よくよく考えてみると、イヤなおばさんのイヤな所以《ゆえん》が、お雪ちゃんにはわからなくなってしまうので、ややもすれば、いいおばさん、気の毒なおばさん、かわいそうなおばさんにまでなってくるのです。よく世間では、坊主がにくければ袈裟《けさ》まで憎い、と言うが、よしイヤなおばさんが、イヤなおばさんであるとしても、その記念《かたみ》の着物までを、イヤがるわけはないじゃないの。
着物に罪は有りはしないわ――というようにお雪ちゃんの心が知らず識《し》らず変化していましたから、その心が、この着物を焼くこともせず、捨てることもせず、着物の方でもまた、お雪ちゃんの傍にいたいと、声を出しているようにも思われるのです。
最初、目をつぶって見まいとした、このイヤなおばさんの記念《かたみ》が、今ではお雪ちゃんにとって、なんともいわれない懐かしみを、にじみ出させてくるようになりつつあるらしい。
衣桁にかけた小紋縮緬の一重ねを、こんな心持で、お雪ちゃんはしみじみと眺めていましたが、同時に自分の着物を見て、悲しいという感じも手伝いました。昨日まで寝巻のまんまでいたけれども、ここへ来て、お寺の心尽しで、娘らしい一通りの借着を着せてもらっているけれども、焼かれたのがほんの一重ねだけでもあれば……と思いやられるところへ、このイヤなおばさんの記念ばっかりは、仕立卸し同様に、こんなにしてわたしの眼の前にある。あのおばさんも言った、これは私には派手過ぎる、あとから代りが届いたら、お雪ちゃんにあげましょう――それは冗談ではなく、本心の約束のようなものでした。事実、お雪ちゃんは、このまま自分が着ても、そんなに不釣合いのものじゃないと思いました。
わたし、これを着るわ、着てみるわ、という
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