勢がまた一変してしまいました。
「どう、ドウしたというだなあ、別に病気でも、怪我でもねえらしいに、わりゃ狂気したか」
こう言って、馬子が必死にブラ下がったことによって、いったん竹の杖を地にまで落した覆面が、刀の柄に手をかける瞬間を遠慮してしまいました。
食い下がられて、馬は二三度、轡面を強く左右に振ったが、そのまま速力をこめて前面への突進をはじめました。
「ああこん畜生、こん畜生、引っかけやがったな」
無論、馬子は手綱に引きずられて、宙に振り廻されながら、綱に取りついて、走り行くのです。
そのあとを茫然《ぼうぜん》として見送るかの如き竜之助。
人を斬ろうとしたのか、馬を斬ろうとしたのか、馬と人ともろともに斬ろうとして、そのいずれをも斬りそこねたのか――蹄《ひづめ》の音はカツカツとして、やがて闇に消えてしまいました。
五十
けれども馬子の方では、どこまでも、馬が狂い出したと思っているでしょう。それがために、自分をこんなヒドイ目に逢わせやがる、こん畜生! と自分の馬を憎みながら、自分の馬に振り廻されて、馬場から町外《まちはず》れ、益田街道を南に、まっしぐらに走《は》せ行くことをとむることができません。
どこの百姓か知れないが、おそらく、この馬子は、かなり人のいい方であっても、この馬の狂乱を理解することができないで、家へ帰ってから後、相当に馬を譴責《けんせき》することでしょう――もし、乱暴の主人でしたなら、危険の虞《おそ》れある荒《あば》れ馬として、売り飛ばすか、つぶしにすることか知れたものではない。
つまり、馬に暴れられたのでなく、馬に救われたのだという理解があれば、人間は幸福だったのですが、馬の心は、人の心ではわからない、人の心は、馬の心ではわからないものがある。
佐久間象山が、京都の三条通木屋町で、肥後の川上|彦斎《げんさい》ともう一人の刺客に襲われた時、象山は馬上で、彦斎は徒歩《かち》であったから、斬るには斬ったが、傷は至って浅かったから、象山はそのまま馬の腹を蹴って逃げ出したのを、ついていた馬丁《べっとう》が馬の心を知らない――単に馬が狂い出したものと見て、走りかかる馬のゆくてに、大手を拡げてたち塞がったものだから、馬が棒立ちになったのを、追いすがった刺客が、おどり上って、思う存分に象山を斬ってしまった。これこそ実に日本一
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