そうして、この夜は、落着いて、ぐっすりと休むことができました。
 だが、お雪ちゃんに限らず、人というものは、生きている以上は、周囲が穏かならば、自分の心の中が動き出すし、自分の心がやっと落着いたかと見れば、何かまた周囲で煩わしいことが、大きかれ小さかれ、そのいずれかの翻蕩《ほんとう》の中に生きているようなものですから、せっかく、静かなお雪ちゃんの夢が、また夜中に破れ来《きた》ったということは、ぜひもないことかもしれません。
 それはまず、犬の盛んに吠え出したことによって破れていると、次に夥《おびただ》しい人のわめき[#「わめき」に傍点]声が、つい目と鼻のところらしい人家の中から起り出して来たことで、
「何だろう、もう時刻も夜中を過ぎていようのに……」
 お雪ちゃんが、寝床の中で、やや長いこと聞き耳を立てている間に、その人家の罵り声はいよいよ高くなり、全く只事ではないと思わせられました。
 それのみか、今まで、家の中でばかり騒いでいると聞えたその声が、今は室外へ溢《あふ》れ出して来たものです。そうすると、ワッシ、ワッシと何か担いで来るような模様で、それも河原へ飛び出して、川を渡って、お雪ちゃんの泊っている、この座敷の直ぐ下のところあたりへ、押しかけてくるらしいから、何はともあれ、もう床の中で聞流しにしているわけにはゆきません。
「お祭のお神輿様か知ら、御祭礼があったようにもないが、おかしいねえ」
 お雪ちゃんは、寝巻のまま立って、雨戸へ手をかけて無雑作に引きあけてみた途端に、
「あっ」
と言って、眼も口も打たれて、開くことのできなくなったのは、濛々《もうもう》として外から捲き込んだ烟《けむり》でした。

         二十九

 この辺で、名古屋で大持て[#「大持て」に傍点]のために有頂天《うちょうてん》になった頭の上へ、したたかに冷水をあびせられた道庵先生の近況にうつりましょう。
 あの時の水かぶりで、危うく陸沈をまぬかれたが、先生の鼻息すこしも異状なく、宿へ帰ってつぎたしをして休みながら、宇治山田の米友のいないことなんぞも、一向お気がつかれませんでした。
 先生は更に明日からの日程を、夢みながら……なお有頂天《うちょうてん》で、その得意さ加減、とどまるところを知りませんでしたが、こうして泰平楽《たいへいらく》に酔いきっている時、江戸で、その本城を衝《つ》かれていることなんぞも、更にお気附きのあろうはずがありません。
 江戸に残された、道庵の股肱《ここう》と頼まれたデモ倉とプロ亀――の二人が、道庵不在を好機として、容易ならぬ反逆を試みたことは、以前にも少し記しました。
 本来、デモと言い、プロと言い、道庵ある間は、天晴れ貧民の味方で、先棒をかついでいたが、本来何も特別の主義信念があって、道庵と行動を共にしていたというわけではなく、道庵に一杯飲ませられたのと、道庵の一面に備わっている暴君的独断に圧迫されて、寄りたかっていたのだから、少しでも、そのおみき[#「おみき」に傍点]と、圧迫から離しておかれれば、どっちへどうにでもなる連中です。
 それのみならず、盟主と頼む道庵は、十八文をふりかざして、大いに貧民の味方らしくは振舞っているが、酒気に乗じて横暴を揮《ふる》い、独断を通し、時には暴力を以て、子分の者の頭にガンと食《くら》わすことなんぞもあるものですから、内々、反抗気分を蓄えていないではなかったが、存在する間は道庵の威力|如何《いかん》ともし難く、暴力をもってガンと食わせられても、道庵のはあんまり痛くありませんでしたから、我慢をしていましたが、我慢しきれないのは、さほどに横暴を極めながら、同志の者に廻す小遣《こづかい》がいかにも道庵並みにシミッタレていたことです。
 これではたまらない、いつかしかるべき親分に乗り替えて、もっと飲めるようにしてもらわねばならないと考えていました。
 ところで、このたびの上方《かみがた》のぼりこそ究竟《くっきょう》である。この留守中に、すっかり長者町に於ける、道庵の人気をさらってしまおうとの計画が実行され、その一つとして、多年十八文で売り込んでいる道庵よりは、三文安の十五文を看板にして、年も道庵よりはグット若い橋庵《きょうあん》先生というのを、担ぎ上げ、この方が道庵よりは少なくも三文は格安で、それだけ大衆向きであるという宣伝をさせました。
 どうだ、これで胸が透いたろう、道庵の奴、いい気持で、江戸へ帰りつく時分には、お株はすっかり橋庵先生に奪われて、立場を失って、ベソをかく面《つら》がまえが見てやりたい、どんなものだい。
 デモ倉と、プロ亀が腮《あご》を撫でましたが、ここに風のたよりに名古屋に於ける道庵の人気を聞くと、たまらないものがあります。名古屋に於て道庵が、ほとんど国賓待遇を受けているということを聞くと、デモ倉と、プロ亀が、躍起となりました。
 この分で、上方へやっては、道庵の上方に於ける人気が思いやられる。ほうっておけば当時天下に、道庵のほかは人が無いようになってしまう。江戸の方で、天晴れ足許《あしもと》をさらったつもりでいる間に、道庵の翼が日本中へ伸びてしまった日にはたまらないと、デモとプロが、嫉妬と、狼狽に堪えられない気持になりました。
 しかし、デモとプロもさるもの、たちまち智嚢をしぼって、この道庵の人気に対する対抗策を考えついたというのは――仲間中から人を選んで、道庵の行くところにさし向け、つきつ纏《まと》いつして、すれつもたれつして、向うを張らせることだ。そうして道庵をいやがらせ、うるさがらせ、汚ながらせて、ペチャンコにしてしまう。
 その人選には、折助のマアちゃんに限ると思いました。折助のマアちゃんというのも、別に本名はあるのだろうが、当時は、折助のマアちゃんで通って、誰知らぬ者もない。

         三十

 マアちゃんに限る。むこッき[#「むこッき」に傍点]が強くって、おだてが利《き》いて、ちょっと雑俳ぐらいはやれる、講釈仕込みの武芸も心得ている――あいつに限ると見立てました。
 だが、マアちゃんの名では、道庵の向うを張らせるには重味が足りないから、何としよう、そうそう三文安の先生もあることだから、「安直先生」あたりがよかろうではないか。
 そうして右の、「安直」の相役にはデモ倉が、名も「金茶金十郎」と改めて同行することになり、日ならずして、この安直先生と金茶金十郎の同行が、道庵の跡を慕《した》い、これにくっつき、すりつき、もたれかけ、さんざんに牽制運動を試みようとする作戦が熟しました。
 人はいかなる場合に、いかなる敵を持つか知れたものではありません。かかる大敵が後門に迫るとは、神ならぬ身の知る由もなき道庵は、翌日眼覚めると、自室にも、次の間にも、頼みきったる宇治山田の米友がいないことに気がつきました。
 これは破格のことです。今まで、米友が道庵を見失うことはあろうとも、道庵が、米友を見失ったことはないはずです。
 道庵が米友を見失ったのは、ある格別の事情によって、米友のいることを不利益と考えた場合や、また計画的ではないにしても、ついつい興に乗じて、行違いになってしまうことも、一度や二度ではありませんでした。
 その度毎に、道庵の方では、友様の野郎をまい[#「まい」に傍点]てやったと大得意でふざけきっているが、米友の方では、その忠実厳正なる責任感から、血眼《ちまなこ》になって主と頼む人の行方《ゆくえ》を探し廻ったことも、一度や二度ではありませんでした。
 これは道庵としては、甚《はなは》だ罪のあるやり方ですけれども、一方から言えば、忠実すぎ、厳正すぎる監督者の眼をかすめたくなることも、日頃、品行方正な道庵としては、せめて旅行中ぐらいは、大目に見てやらなければならぬ事情もあります。
 今朝は、まさしく、その前例と違って、道庵の方で米友を見失ったので、道庵が米友をまいた[#「まいた」に傍点]のでないことはわかっています。そこで、さしもの道庵も少々しょげて、
「はて、友様はどうしたろう、あれから、ああして、あの時までは、あれだったが、ああしてその後が……『水祝い』の時は、奴、いなくってよかったと思ったが……奴がいてごろうじろ、軽井沢の伝で、棒切れを振り廻された日には、せっかくの御趣向が水にもならねえ、あの時ばっかりは友様がいてくれねえのがお誂《あつら》えだと思ったが、はて、それから、ちょっと外へ出てくるから許してくれと、言われた覚えはあるようだが、それから後――奴、出て行ったらどうしたって、その日のうちには帰って来ねえような人間ではねえ、三時間で済む用事は、一時間半で済ましてくるだけの、目から鼻へぬけたところのある野郎だが……それがお前、一晩、わしをおっぽり出して帰って来ねえなんて、全く今までに例のねえことだぜ。一晩泊り込んで、きまりの悪い顔を見せるような代物《しろもの》とは代物が違うんだが……第一あの男の気性として、御当人はとにかく、仮りにも主と頼むこの道庵を、一晩たりとも置去りにして、よそへ泊ることのできるような男ではねえ、それが昨晩はいなかったんだぜ、こいつは一大事だ、あいつがおれをおっぽり出して外泊するなんてえことは、まさに一大事でなければならねえ、何か間違いが起りはしねえかなあ。間違いが起ったとしても、あいつのことだから、自分が怪我をするようなブマなことはねえにきまっているさ、だが、気が短けえし、人間の見境がつかねえから、むくれ出すと手におえねえ――なんにしても、こいつはこのままじゃあおけねえ、今までは道庵がずいぶんあの男に世話を焼かせたが、今日はどうしても、こっちがあいつに世話を焼かせられる番だ。さあ、こうしちゃいられねえ」
 道庵は狼狽《ろうばい》して飛び起きざまに、いきなり次の間の戸棚をあけて、もしやと調べてみたが、戸棚の隅にも、火鉢の抽斗《ひきだし》にも、わが忠実無二の保護者たる宇治山田の米友の、影を見出すことができませんでした。

         三十一

 その夜、宇治山田の米友は、鳴海の宿の旅籠屋《はたごや》の一室で、何かの物音に、ふと夢を破られました。
 夢を破られて見ると、自分というものが、蒲団《ふとん》の上には寝ていないで、こちらの方の大きな熊の皮の上に、仰向けに、大の字なりに寝そべっていることを知りました。
 大抵の場合に於て、この男は、素肌に盲目縞《めくらじま》の筒袖一枚以上を身に纏《まと》うことを必要としないように出来ているし、夜分に於ても、それ以上の夜具があってもよし、なくてもよいことになっているが、今宵の場合は特に疲れが激しいから、用が済むと共にこの敷皮の上に寝そべったまま、ついに夜更けに立至ったものと思われます。
 そのはずです。日中には名古屋の市街から、宮、熱田を七里の渡しの渡頭《ととう》まで行って、更に引返して、呼続《よびつぎ》ヶ浜《はま》、裁断橋《さいだんばし》――それから、まっしぐらに、古鳴海《こなるみ》を突破して、ついに、ここまで落着いたのだから、前後左右を忘れるほどに疲れきって、つい寝そべってしまったことも無理はありません。
 半ば以上無意識で、睡眠をとろりとさせていたが、やはり夢を破られても夢心地で、
「やんなっちゃあな[#「やんなっちゃあな」に傍点]」
と、米友は、ひとりでこう呟《つぶや》きました。
「やんなっちゃあな」というのは、更に正しくてにをは[#「てにをは」に傍点]をはめてみると、「いやになってしまうな」ということで、これに漢字を交えてみると、「忌《いや》になって仕舞うな」ということなのです。何が忌になってしまったのか、それを強《し》いて穿鑿《せんさく》する必要はありません。ただ眼が覚めた途端の口小言と見ればよいのです。たとえば、転んで起き上る時に、「どっこいしょ」というようなもので、字句そのものに拘泥して、何がどっこいしょだか、どっこいしょでないか、それを詮議《せんぎ》する必要はないのと同じことです。
 そこで、米友は、半ば以上無意識の朦朧《もうろう》たる眼をもって、
「やんなっちゃ
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