して、病気の養生をさし置きながら、男三昧《おとこざんまい》のしたい放題、角力《すもう》が来れば角力、役者が来れば役者、外にいるやくざ者、家へ置くのらくら男、みんな手を出したり、足を出したり、世間の物笑いは苦にもせず、親類一同の顔に泥を塗り、それのみか、御亭主の直右衛門殿の病気でふせっている眼の前で、浅公という若い奴ととち[#「とち」に傍点]狂い、世間の噂《うわさ》では、毒を盛って直右衛門殿を殺したといわれる。それで、その浅公という若いのを連れて、温泉びたり、いい気になって湯水のように身代をつかい散らす、あれで罰《ばち》が当らなければ当る人はないと、皆さんまで、みんな評判をなさったじゃないか。ところがどうです、お天道様はムダ光りはござんせんや、とうとう白骨の谷で神隠し、沼へ落ちたとか、岩にぶっ裂かれたとかいって、今日まで行方知れず、ほんとに天罰は争われないものだと、皆様もおおっぴらにおっしゃった。こっちも、やれやれ浅ましいことじゃ、せめてものこと、その浅ましい死様《しにざま》が曝《さら》されず、神隠しになっているがお慈悲じゃ、沼へ落ちたなら、死体がまったく底へ沈んでしまって浮き出さないように、岩にぶっ裂かれたんなら、鳥獣の餌になってしまって骨も残らないように、それだけを念じて、今日まで見つからなんだのを仕合せと思っていたら……なんという因果じゃ、今日このごろになって、業晒《ごうさら》し、恥晒し、不浄晒しな死体が見つかったという。わしは、あっちで焼くなり、埋めるなり、よう処分して、こっそり帰って来ると思ったら、そのけがらわしい、業晒しを、正のまま、ここへ持って来て、この家で葬式をするそうな。なんという、ナ、ナ、なんという阿呆、何という物知らずの集まりじゃ。この葬式《とむらい》は、わしが不承知、そ、そんな地獄の、畜生の罰《ばち》あたりに、この畳一畳でも汚しちゃ済まぬ、引き出せ、叩き出せ、ほうり出して犬になと食わせてしまえ」
 憤慨のあまり、吃弁が雄弁となり、猛《たけ》り立った角之助が、棺箱に向って飛びつきました。

         二十三

「こ、こ、こ、これ、何をしくさる」
 今度は徳兵衛が、吃《ども》り且ついらって、棺に向って飛びついた角之助をおさえ、
「いまさら、お前が、それを並べんでも、わしも知っとる、皆様も御存じじゃ、この席で、それを並べ立てて何になる、生きている間は生きている間、死んだ者は死んだ者じゃ、たとえ生きている間は畜生であろうと、死んだ上は、相当のとむらいをしてやるのが礼儀じゃ、人情じゃ、それをお前は……」
「いけません、おじさん、そ、そ、そんな礼儀や、人情は、この場では通りません、とむらいをしてやるならば、してやるようにして、それからなさい、こいつは、この人でなしの亡骸《なきがら》は、この家から引き出さにゃなりませぬ」
「こ、これ、阿呆するな、ばかな真似《まね》をするな」
「誰が何と言っても、わしが不承知じゃ、これは追い出さにゃ置かぬ」
「理不尽な、それでは、わしが承知じゃ、わしが承知で、この葬式はする、お前の知ったことじゃない、お前こそ、この席から抛《ほう》り出してしまうぞ」
「わしを、抛り出す、本当の人間の道を言うわしを、ここから抛り出して、人でなし、畜生の亡骸を、上壇でおとむらいなさる、面白い、それができるなら、おやりなさい」
「できるとも、さあ、わりゃ、出てうせろ、出てうせろ」
「わしを手込めになさったな、おぶちなさったな、おじさん、お前にも言い分がありますよ、お前だって、この死人が、人でなしが生きている時は、わしと一緒に、さんざんに悪口を言って、人間の皮をかぶった獣《けだもの》じゃとばかりおっしゃって、交際《つきあい》も、口きくこともせなんだじゃないか、それを何と思って、こんなに肝煎《きもいり》ぶりをなさるのは、たいがい様子が知れたものじゃ、お前はこの、川杉屋の身代が欲しくって、そうして、それで今更、取ってつけたような追従《ついしょう》をなさるのやろ」
「何、何を言いやる、わしが川杉屋の身代が欲しいから、それでこの席を取持つ、阿呆もほどほどにしておきなされや、ほかの言い分とは違うぞや。生きてるうちはともかく、死んでしまってみれば、こうもするのが世間様への礼儀、人情じゃ、たとえ犬猫が死んでも、道路へ抛《ほう》りっぱなしにもしておけない、そ、それを、わしが好きこのんでするのみか、ここの身代が欲しくてするとは、聞捨てのならないたわごと。痩《や》せても枯れても新家の徳兵衛は、妻子を食わすだけの用意は欠かさぬぞ、貴様こそ、そんな言いがかりをして、この身代が欲しいのやろ」
「笑わせなさんな、親類寄合いの時、わしをこの家の後嗣《あととり》にと、相談のきまったのを、こんなけがらわしい家はいやと、きっぱり断わったわしの舌の根を見ておくんなされ。おじさん、お前こそ、お前こそ怪しい」
「怪しいとは、何が怪しい」
「胸に聞いてごろうじろ、お前は、お前はとうからこの川杉家を覘《ねら》っていた」
「聞捨てならん、こいつが、この席で、皆様の前でこうしてくれる」
 徳兵衛は、よほどこたえたと見えて、いきなり、角之助の頬っぺたを、強《したた》かにつねり上げる。
「あいた、た、た」
「うぬ、こうして、こうして、その横に裂けた口をいたしめてくれよう」
「合点《がってん》だ、人でなしをかばうは人でなし、おじとは思わん」
「うむ」
「こん畜生」
「獄道」
 叔父と甥とが棺の前で、組んずほぐれつ、大争いを捲き起したのはほとんど束《つか》の間《ま》の出来事で、最初から、この寄合いが掴《つか》み合いになるまで手を束ねて、呆気《あっけ》に取られていた会衆が、ここに至るとじっとしてはおられません、一時に仲裁に向って立ち上りました。

         二十四

 叔父は甥の口を両手で引裂こうとし、甥は叔父の両鬢《りょうびん》をむしり取ろうとして、取っ組んで、棺の前に重なり合い、転がり合っている二人の身体《からだ》に、立ち上った仲裁の会衆も手のつけようがありません。そのうちに、また他の一方で物争いが持上りました。
 これは仲裁として立ったお通夜の者の中に、また別に、二つの説があって、
「角之助さんの言うのが尤《もっと》もだ」
と言うのと、
「新家の旦那の言い分が人情だ」
と言うのが衝突して、早くも組打ちがはじまってしまったことです。
 仲裁する者が仲裁されるようになると、今夜はどうしたものか、最初から空気そのものが只事でありませんでした。妙に人の心を沈めて、そのくせ神経をイライラさせるような低気圧が、この家の周囲に覆いかぶさっていたのか、それとも、この室内の空気がら、おのずからそういう悪気を孕《はら》み出したのか、それは知れません。
 仲裁が、二説にわかれては、争いがあるばかりで、妥協の望みは壊されて行くのみです。
 口を利《き》いているうちに、それがついに物争いになってしまいました。日頃、温厚を以て聞えた分別《ふんべつ》の者までが、言葉に刺《とげ》を持って、額に筋を張って力《りき》み出したことは、物《もの》の怪《け》につかれたようです。ですから、血の気の多いものは、言葉より手が早くなりました。どうしても、そういう空気が、そうさせるとしか見えないのです。
 今や、棺の周囲に喧々囂々《けんけんごうごう》として、物争いの罵《ののし》りと、組んずほぐれつの争いと、棺を引摺り出そうという者、そうはさせまいとする者とが、座敷いっぱいに荒れ狂うている形相《ぎょうそう》は、どうしても、この室の内外に、何か力があってそうさせると思うよりほかありません。そうでなければ、石占山《いしうらやま》から取って来てお茶うけのつもりで出したあの茸《きのこ》の中に、きちがい茸があってそれを食べたために、すべての者が狂い出したのでしょう。
 そう言われれば、たしかにそうです。家の外の低気圧でもなく、室の中の悪気でもなく、あの茸です、あのきちがい茸です。それを食べたから、食べたすべての者が、こうして狂い出してしまったのです。ただ、罵る者、組んずほぐれつする者、棺を引き出そうとする者、そうはさせまじとする者のみではありません、大動乱の半ばに、大きな顔をして笑い出す者が起りました。とめどもない高笑いをしながら、傍《かた》えの人の髷《まげ》を持って引きずり廻していると、引きずられながら高笑いをしつづけている者もあります。
 柱へ登ろうとして、辷《すべ》ってまたのぼり、
「廻るわ、廻るわ、この家屋敷がグルグル廻る、廻り燈籠《どうろう》のように廻らあ、廻らあ」
と、天井を指しながら喚《わめ》く者も起りました。
 原因はわかりました、茸のせいです、毒のある茸のせいです。
 もし、たった一人でもいいから、その茸を食わなかった者があるならば、早く走って医者のところへ行きなさい。
 ところが、走り出そうとすれば、どっこいとつかまえられてしまいます。
 深夜のことで、大きな構えですから、あたり近所からも急に走《は》せつけて来る者はないようです。
 行燈《あんどん》も、蝋燭《ろうそく》も、線香も、メチャメチャです。畳を焦《こが》しただけで、消えてしまった蝋燭は幸い、座敷の一隅へころころと転がって行った鉄製の燭台に火のついたままのが、障子のところまでころがりついて、パッと燃えて、障子にうつったのは、ワザと火をつけに行ったようなものです。
 障子の紙を伝って、天井へメラメラと火がのぼると、折悪《おりあ》しく、そこへ油単《ゆたん》の包みが破れて、その紙片が長く氷柱《つらら》のようにブラ下がっていたのを、火の手が、藤蔓《ふじづる》にとりついた猿のように捉えると、火は鼠花火の如く面白く走って、棚の上なる油単の元包みそのものに到着してしまうと、暫く火の手だけは姿を隠したが、やがて夥《おびただ》しい煙の吹き出して来たのを、組んずほぐれつの座敷の者は、誰あって気がつきませんでした。

         二十五

 これはまさしく一大|椿事《ちんじ》です。
 茸《きのこ》のさせる業と見るよりほかにみようはないが、それにしても、一応食物を分析した上でなければ科学的の立証はできないが、巷間《こうかん》の伝説に従えば、左様の例は決して無いことではない。
 茸のために一家|狂死《くるいじに》をしたということもあれば、笑死《わらいじに》をしたということもあるにはある。
 この附近の石占山《いしうらやま》というところは、文化文政の頃から茸の名所となってはいるが、そこで取れる茸は、松茸《まつたけ》、湿茸《しめじ》、小萩茸《おはぎたけ》、初茸《はつたけ》、老茸《おいたけ》、鼠茸《ねずみたけ》というようなものに限ったもので、そこから毒茸が出て、人を殺したという例《ためし》はまだ無い。
 しかし、茸の生える所がこの国で、石占山ときまったものでない限り、どこにどのような毒茸が真茸顔《まだけがお》をして、人間をたぶらかしていたか知れたものではない。天狗茸《てんぐたけ》、蠅殺茸《はいころしたけ》、虚無僧茸《こむそうたけ》、落葉茸《おちばたけ》、萌黄茸《もえぎたけ》、月夜茸《つきよたけ》、笑茸《わらいたけ》、といったようなしれものが、全く真顔をして、茸には慣れた山人をも誘惑して、毒手を逞《たくま》しうするという例も絶無ではありません。
 すべて、この場の突発椿事の一切の責任を、挙げて茸氏に帰《き》してしまおうとするのは、右に挙げた類の茸族のうちのいずれがその加害者であるか、或いはほとんど全部の共謀のような形になっているか、或いはその中のほんの一種類だけの悪戯《いたずら》に過ぎないか、その辺を再応吟味してみる必要はあるのです。いかに毒茸族が憎いからといって、茸の方から進んで人の口に飛び込んだのではない。その現行犯でないものをまでも捕えて、罪に落すのは酷といわねばなりません。
 しかし右の毒茸族のうちでも、今宵の犯罪者は、極左に属したものでないことだけは、不幸中の幸でありました。
 毒茸党の極左に属するものには、人間が手を触れただけで、その
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