のような髪の毛を、紫紐できりりと結び、直垂《ひたたれ》を着て、袴をつけ、小刀は差して太刀《たち》は佩《は》き、中啓様《ちゅうけいよう》のものを手に持って、この道場へ走り込むと、さしもの猛者《もさ》どもの中を挨拶もなく、ずしずしと押通り、兵馬の稽古している直ぐ後ろへ立入り、じっと瞳を凝《こ》らして兵馬の稽古ぶりを注視したものです。
 ところが、道場に満つる人々が、この傍若無人の小冠者の振舞を怪しともせず、彼が入り来《きた》った最初から、ほとんどが膝を組み直し、頭を下げて、ひたすら尊敬の意を表する有様が、いかにもいぶかしい。
 二三名を、こなしている間、篤《とく》と兵馬の剣術ぶりを注視していたこの小冠者は、
「おお、見事見事、わたしにも指南してたも」
と、早くも道具をつけにかかる。兵馬には、稽古中から、この異様な貴公子の挙動が解しきれないものであったが、いかにも小気味よく稽古をこうのだから、辞すべき理由は少しもありません。
 竹刀《しない》を取れば、天下に有数の宗師は知らぬこと、大抵の場合に、自信を傷つけられるということのない兵馬は、稽古をつける気位で立合ってみました。
 無論、兵馬の予想通りで、術としては、さのみ怖るるにも足らないが、気象の烈しいことが太刀先に現われて、美音の気合と共に、息をもつかず打ち込む気力は侮《あなど》り難い。この稽古を終ってから、右の貴公子が、兵馬に挨拶をして言いました、
「そなたほどの年で、それだけに使える人は全く珍しい、どこで修行なされたか、流儀は直心蔭《じきしんかげ》じゃの」
「はい」
「そなた、剣術ばかりか、他の武芸は?」
「はい、槍も少し覚えました」
「ほう、それは頼もしい、して、馬は?」
「馬――も少しばかりせめてみたことがございます」
「おお、それは一段、では、桜の馬場で、わしと一緒に一せめして、それから小日和田《こひわだ》へ野馬をこなしに行ってみようではないか」
「はい……」
「武芸ばかりかの、そなたは、ほかに何ぞたしなみはないか」
「何も存じませぬ、未熟者でして」
「いや、そうではあるまい、そなたの剣術は本当に修行している、して、泳ぎは?」
「水泳でございますか」
「左様、水泳をそなたはやりますか。わしは水泳が一番の得意じゃ」
「ははあ」
「熊野にいた時は、時候もよくあったし、海が近いから、毎日泳ぎに行って、遠海まで泳ぎ廻り、二三日も館《やかた》へ帰らぬことがあったから、領主が泣いていた。この飛騨には海がないのみならず、わしが食い足りるほど泳ぎたい池も、沼も、湖もない」
「ははあ」
「そなた、何ぞ、芸に遊ぶ心得はないか、たとえば、歌をよむこと、絵を描くこと、香を聞くこと、管絃をかなでることでもよろしい、さもなくば囲碁か、双六《すごろく》か」
「はい、いっこう何も心得ませぬが、囲碁ならば少々」
「ああ、それはよろしい、わしのところへ来て相手をしてたも……わしもここに閉じこめられて、鬱積して堪え難いのじゃ、わしを不憫《ふびん》と思うて慰めてもらいたい」

         十七

 兵馬も竹刀《しない》を取っては、充分にこなし切れるが、このたてつづけの挨拶には、ほとんど応接に困るのでありました。
 第一、このたてつづけの質問の主は、誰人であるかわかりもせず、また名乗りもしない先に、自分の注文だけは遠慮なく提出し、ただ提出するだけならよいが、いちいちそれが命令的になってしまうのです。
 兵馬というものを、この山中の都会で見つけ出して、遮二無二《しゃにむに》、自分の伽《とぎ》にしてしまわねば置かぬという権高と、性急とが、全く兵馬をして挨拶に困らせました。
 だが、その身元|素姓《すじょう》を反問するまでもなく、その風采から、服装から、言語挙動のすべてが説明するように、誰もが憚《はばか》る堂上の貴公子の類《たぐい》であって、それが多分、何かの仔細で、この山国の小都会に預けられているのだ。かなり身辺の自由は保留されているらしいが、それでも、鬱積して堪え難いものを、自分から解いて任意の行動を取ることは許されていない。つまり、身分ある人が、この高山の地へ幽閉を蒙《こうむ》っているというほどでなくても、ここで謹慎を命ぜられているものに相違ない。ありそうなことだ、この気象では……と兵馬はその点だけは合点がいって、ようやく、隙を見出したものだから、
「して、あなた様は、どちらにおいでになりますか」
「わしは、この川西に家をあてがわれているけれども、わしの周囲《まわり》は、みんな他人じゃ、わしの気に入った同志たちは、一人もわしの傍へ寄りつかないようにされている、わしが身は当分、この飛騨の高山あたりを外へは出られないことになっている、それが堪えられぬ苦痛じゃ。この地の者共には相手になるのが一人もない、このごろは書物を借りて読んでばかりいるが、もう書物も読みつくした、歌を詠んでも見せる人がない、碁を打ちたいと思うても、その相手すらないのじゃ。それで、わしは無聊《ぶりょう》に堪えられない、今日、ひとり馬をせめていると、下部《しもべ》の申すことには、昨日、これへ珍しい少年の剣客が見えたとのこと、なにほどのこともあるまいとは思うたが、来て見ると、全く、天晴《あっぱれ》なる手練、そなたというものを見つけたのは嬉しい。これから当分、剣術の相手、馬の遠乗り――もしやそちが、歌を詠むことを学びたいなら、わしが知れる限りは教えてもよい、囲碁、双六《すごろく》の相手もしてたも」
 そう言って、委細かまわず、兵馬を自分の相手として任命してしまうところ、全く眼中に人はないのです。
 左右の様子を見てみると、代官の役人共、この我儘《わがまま》貴公子の申し出でを、別段に抑止する模様もなく、むしろ、やんちゃ若様の子守役を、兵馬が引受けてくれれば有難いといったような気色《けしき》。それを見て、兵馬はいよいよ昨晩の「新お代官」のもてあましの難物というのに思い当りました。すっかり面食ってしまっている兵馬をとらえて、この貴公子は、
「さあ、わしが屋敷へ行こう。わしが屋敷といっても仮の宿じゃ、本当の家は京都の今出川《いまでがわ》にあるが、ここでわしのために定めてくれた家は、今まで空家《あきや》になっていた――この幽霊の出そうな空屋敷に、いわば座敷牢といったようなものに、わしはひとり納められて、出入りにも人がつき、身の廻りの世話は代官から、むくつけなのが交代で給仕に来てくれるのみじゃ。そなた、これからわしと一緒に、そのわび住居《ずまい》まで同道しや」
 貴公子はこう言って、のっぴきならず、兵馬を拉《らっ》して、その自分が幽閉されているらしい屋敷へ連れ込もうというのです。
 それは前に言う通り、それを預かる代官の家中も、かえって同意的に黙認しているらしいから、やがて兵馬はこの貴公子に引き立てられて、道場を立ち出でました。
「飛騨の高山には海が無い……その代り、思う存分駒に乗って、国内を飛ばせてみよう」

         十八

 曾《かつ》て、仮りに高村卿と呼ばれていた英気|溌剌《はつらつ》たる貴公子があって、多少の同志の者を連れて随所を横行し、江戸の三田の四国町の薩摩屋敷の中へ乗込んで、若干の兵を貸せ、その兵をもって甲府を抑え、飛騨を取らんと申し入れて、さしもの豪傑連に舌を捲かせた上に、羅陵《らりょう》を舞って悠々と引上げたことを――その前後に、武蔵、相模の山中に、異様な物鳴りがあって、時ならぬ時、笛や太鼓の物の音が、里人や、猟師、杣人《そまびと》を驚かしつづけたことを。
 現に兵馬も、その驚かされたうちの一人で、右の怪しい物音のために、猟師と共に武相の山谷に探検を試みたこともあったということを。
 白骨谷へ集まった、お神楽師《かぐらし》を標榜する連中が、その崩れでないとは保証ができない。彼等の中には、幕府を制するには甲府をおさえ、飛騨を取らねばならぬということに精細な研究を積み、今や、よりよりその実行にうつりつつあるが、実行にはかなりの大兵と、軍費とを要すること。それに行悩んでいるらしい形跡はたしかにある。
 彼等一味の有志連が、挙《こぞ》ってかつぎ上げるところの盟主は、白面俊秀にして、英気溌剌たる貴公子であった。今このところに鬱屈せしめられている、当の貴公子は、まさにその人であるに相違ない。
 兵馬は今はじめて、その人を見、まず煙に巻かれてしまって、言句が出ないのです。
 たとえば、この人は、初対面の自分をつかまえても呼捨てであるが、いわゆる「新お代官」の胡見沢《くるみざわ》をつかまえても呼捨てであり、のみならず尾州家を呼ぶにも同じく呼捨てであり、談が長州、薩摩の大守のことに及ぶと、これらの大名をつかまえ、自分の家の子のように呼捨てにして憚《はばか》らないことのみならず、江戸の将軍一族に対しても、或いは家茂《いえもち》がと呼び、慶喜《よしのぶ》がと呼んでいる。それが夜郎自大《やろうじだい》でするような、衒気《てらいげ》にも、高慢にも響かないで、いかにも尋常に出て来る。さながら、そう呼んで差支えないだけの家に生れた子が、そう呼んでいる通りの自然にしか響かないのです。
 おそらく、この貴公子の唇頭からは、日本の国の中では天皇《すめらみこと》御一人に対し奉りてのほかは、色代《しきだい》を捧ぐる必要のない、御血統に生れ給うたお方ではないかと思われるほど、それほど自然に、この貴公子の尊大な言語挙動が、兵馬の耳と眼に、尋常に映じ来《きた》ることであります。
 そこで、この貴公子に拉《らっ》せられた兵馬は、宮川を前にした大きな一構えの中へ引張り込まれてしまいました。これが多分、川西の屋敷とでもいうのでしょう――兵馬が連れられて来る背後を、ものの一丁ずつも離れ、たしかに三人のさむらいたちがつき従って来るのを認めました。
 御家来ではなし、これは代官から、従者とお目附をかねた附人《つけびと》たちだなと、兵馬は感づきました。
 川西の屋敷へ着いて見ると、そこに用人らしいのが、玄関に頭をつけて待っている。
 貴公子は、さっさと奥へ通って、自分の居間と覚しいところの一室に座を占め、兵馬を坐らせて、涼風を煽って、汗ばんだ肌を押しくつろぎ、
「そなた、もう食事は済みましたか。これから桜の馬場へ馬をせめに行こう――明日は午前に、そちに剣術を教えてもらい、午後には馬に乗り、夜分は双六……そちは双六を知らぬとな。では碁を打とう。ああ、よい友達を見出し得て、わたしはしあわせじゃ」
と言って、中啓を閉じて、ハタハタと刀架《かたなかけ》を叩いたのは、人を呼ぶためらしい。
「そなた、さしつかえる事なくば、この屋敷に来てたもらぬか。朝夕、わしと一緒にここに起臥《おきふし》してたもらぬか。いいや、代官に断わるまでもなく、そちがよいと言い、わしが望むと言えば、それで仔細はない」

         十九

 その晩、貴公子と兵馬とが碁を囲んでいるところへ、恐る恐る用人が、次の間から伺《うかが》いを立てました、
「御清興中恐れ入りますが、ちとお願いの儀がござりまして……」
「何事じゃ」
「まことに恐れ入りまする儀ではござりますが、お聞届けの儀をひらにお願い仕《つかまつ》りまするでございます」
「は、は、は、お願いの儀とか、お聞届けの儀とか言うて、その儀の本義を言わぬ先に、恐れ入ってばかりいてはわからない」
「実は、この家の主人が立戻って参りました儀で……」
「ナニ、この家の主人が戻って来たとな。それは不思議じゃ、この家の血統は死に絶えて、幽霊が出るなんぞというて、誰もすみてが無いというから、これほどの屋敷を惜しいものじゃ、そんなら、わしにくれと言うておいたのに、今になって主人が戻って来たとは奇怪な……」
 白石《しろ》を指頭にハサミながら、貴公子の挨拶が用人の頭の上を走ります。
「はッ、御不審|御尤《ごもっと》もでいらせられまする、実はその、当家の主人がかえって参りましたと申しましても、生きて戻ったわけではござりませぬ」
「ナニ、生きて戻ったのでなければ、死んで戻ったのか」
「は
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