》を絞って、つき添っているのは、夜通しの旅であったことを想わせ、その人たちが、真中にして担《かつ》いで来たものが釣台であり、戸板であるのに、蒲団《ふとん》を厚くのせていることによって、これは急病人だと思わせられます。
その急病人の上には、形ばかり蒲団をかけてあるが、その上に白布《しらぬの》をいっぱいにかぶせてある体《てい》を、馬上にいたお雪ちゃんが、最もめざとく見て、そうして、はて、これは急病人ではない、もう縡切《ことき》れている人だ、お気の毒な、急病の途中、高山までよいお医者の許へとつれ出してみたが、もうイケないのだ、気の毒な――とお雪は、よそながら同情してしまいました。
久助さんも、同じように見たとみえて、その人たちに向って、
「御病人でございますか」
「はい――どうも、いけませんでな」
一行の肝煎《きもいり》が、はえない返事。
「お気の毒でございます、こんな山方《やまかた》で、急病の時はさだめてお困りのことでござんしょう」
「はい、どうもなんにしても、こんな山坂の間でござんすから」
「どちらからおいでになりました」
「白骨から参りました」
「え、白骨から、左様でございますか、いつ白骨からおいでになりました」
「昨晩、夜どおしで参りました」
「それは、それは」
久助さんも改めて、その釣台を見直すのでありました。
それというのも、自分も昨日、白骨を立ったのであるが、こんな人には行逢わなかった。多くもあらぬ白骨谷に籠《こも》る面々には、みんな近づきになっているはずだのに、あの中には、いずれも一癖ありそうな人ばかりで、急にこんなになって運ばれねばならぬ人は、一人も見かけなかったのに、はて、不思議のこともあればあるものと見直したのですが、お雪ちゃんも同じ思いです。
「そうして、なんでございますか、御病人は、白骨で病み出しておいでになりましたか」
「はい、どうもとんだ災難でしてね」
「どちらのお方でございますか」
「高山の者なんですが、ついつい、あんなところに長居をしたばっかりに、こんなことになってしまいました、ホンとによせばよかったのですがね」
「ははあ」
久助も、お雪ちゃんも、ほとんど烟《けむ》にまかれてしまいました。
白骨は、つい今まで自分たちの隅々隈々《すみずみくまぐま》までも知っていたわが家同様のところ、どう考えても、急にこんなになりそうな人は思い出せないから、二人は面《かお》を見合わせたっきりでいると、
「さあ、それでは皆さん、もう一息御苦労」
「はいはい」
釣台をかつぎ上げた時に、揺れた調子か、山風にあおられてか、面のあたりにかぶさっていた白い布の一端が、パッとはね上ると、その下に現われたのは、久助は傍見《わきみ》をしていたが、馬上のお雪ちゃんは、ハッキリとそれを認めて、
「あっ!」
あたりの誰人をも驚かした声をあげたが、それよりも当人のお雪ちゃんが、土のようになってふるえたのは、覆われた白布のうちから見せた死人の面は、例のイヤ[#「イヤ」に傍点]なおばさんに相違なく、まだつやつやしい髪の毛がたっぷりと――あの脂《あぶら》ぎった面の色が、長いあいだ無名沼《ななしぬま》の冷たい水の中につかっていたせいか、真白くなって眠っているのを、たしかに見届けました。
十一
それは、お雪ちゃんが気のついた瞬間に、釣台をかついだ人夫が、あわてて覆いをしたものですから、ほかの誰も気のついたものはありません。
一息入れて釣台の一行は、こうしてお雪ちゃんの一行に後《おく》れて来たが、先立ってしまいました。
そのあとから、おもむろに手綱《たづな》をとりだした馬子が、
「お客さん、これが平湯峠の名物、笹の魚というのでがんすよ、おみやげにお持ちなさいましな」
それは笹の葉が魚の形に巻き上ったもの。
「これが渓河《たにがわ》へ落ちると岩魚《いわな》という魚になるんでがんす」
笹の葉化して岩魚となるという、名物のいわれ面白く、手折《たお》ってくれた好意も有難いが、お雪は上《うわ》の空で受けて、やがて馬は平湯峠を下りにかかる時、
「平湯峠が海ならよかろ、いとし殿御と船で越そ――という唄がござんしてな」
馬子が、そういって教えたのも、いつものお雪ちゃんならば、「それをひとつ唄って下さいな、ぜひ」とせがむにきまっているが、今はその元気さえありません。
たったいま、見た物《もの》の怪《け》を、誰ぞに話してよいものか、悪いものか、それにさえ惑いきっているのであります。久助さんが見なかったことがかえって幸い、見ずにいれば見ないで済んだものを、ここでいやなことを言い出したら、みんなの気を悪くするにきまっている、自分ひとりの胸に納めて言わないで済ましてしまうのが本当だと、お雪ちゃんはひとり心に思い定めてしまいました。
心には、思い定めたけれども、胸はいよいよ不思議でいっぱいです――あの、夏以来、温泉場の座持であったイヤなおばさん、あの人の最期《さいご》を考えてみると、何から何まで合点《がてん》のゆかないことばかりです。
浅吉さんが死んでまもなく、あの無名沼にイヤなおばさんの死体が浮いていたということ、たしかそれを引き上げて、宿でお通夜があったとか聞いていたが、その時、自分はとても、傍へ寄って、あのおばさんの死面《しにがお》を見る勇気はなく、それに、あんなものは出世前の人は見ないがよいなんて、北原さんあたりも言うたものだから、自分は逃げてしまったが、それからどうなったのか聞きもしないし、聞かせてくれた人もありません。
多分、もう、疾《と》うの昔に人が来て、その死体を引取ってしまったこととばっかり思っていたのに、今日このごろになって、あの死体に行当ろうとは、どう考えても腑に落ちないことばかりです。
人違い――となれば万事は解決するが、一目見ただけのお雪ちゃんの印象で、どうしてもあの人が、イヤなおばさん以外の人であるとは思い直すわけにはゆかないのです。けれども、もし本人であるとすれば、時間に於て著しい錯誤がある。それともすべてが物の怪で、前の晩に、魂魄《こんぱく》がこの土に留まるとか、留まらないとか言って、先生が今晩あたり、この賑やかな平湯の温泉宿の屋の棟あたりにかじりついているのかもしれないと、冗談《じょうだん》を言われたのが、祟《たた》りとなって、イヤなおばさんの魂魄が、自分たちのあとを追いかけて来たのではないか。そうだとすれば早く浮んで下さい。
だが、こればっかりは、争われぬ眼前の事実で、夢だとも、幽霊だとも、思直しようがありません――お雪ちゃんの、はっきりした頭では、もしやと、こんなふうにも想像してみました――
あの時、無名沼の面《おもて》に、おばさんの死体が浮いたことは本当だろうが、それを引き上げようとする間に、水の底へかくれてしまって、そうして今日になって、はじめて探して引き上げることになった。あの冷たい沼の底に、長い間氷詰めのようにされていたから、それであの通り形も崩れずに、そっくり病人の体《てい》で運ばれて行くことになったのかも知れない。ああ多分そうなんでしょう。いずれにしても、あのイヤなおばさんの魂魄だけではない、その肉体とまで前後して、自分たちは行くところまで行かねばならないのか――お雪ちゃんは飛騨《ひだ》の高山を怖れました。
十二
これに先立つこと幾日、宇津木兵馬は同じ道を、すでに飛騨の高山の町に入って、一の町二丁目の高札場《こうさつば》の前に立っておりました。
大きな柳の枯枝に、なぶられている立札を見ると、「御廻状|写《うつし》の事」というものがある。本文を読んでみると、
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「近来浪人共、水戸殿浪人或は新徴組|抔《など》と唱へ、所々身元宜者共へ攘夷之儀を口実に無心申懸け、其余公事出入等に、彼是|申威《まうしおど》し金子|為差出《さしださせ》候類|有之候処《これありさふらふところ》、追々増長におよび、猥《みだり》に勅命抔と申触《まうしふら》し在々農民を党類に引入候類も有之哉《これあるや》に相聞き、今般御上洛|被仰出折柄難捨置《おほせいださるるをりからすておきがたく》、依之|已来《いらい》御料私領村々申合せ置き、帯刀いたし居候とも、浪人|体《てい》にて恠敷《あやしく》見受候分は無用捨《ようしやなく》召捕り、手向いたし候はば切殺候とも打殺候とも可致旨被仰出候間、其旨可存候
右之通り万石以上以下不洩様に相触れ、且右之趣板札に認め、御料私領の宿村高札場|或者《あるひは》村役人宅前抔に当分掛置候様可被相達候
亥十二月」
[#ここで字下げ終わり]
これは、新しいものではない、今に始まった警告ではない。
つまり、近来、浪人と称するものが、或いは水戸家の浪人とか、新徴組とかいって、相当の資産ありそうな家へ無心に押しかけて、迷惑をかけ、追々増長して、或いは勅命だとかなんとかいって、横行するのにてこずった揚句、左様な者に対して斬捨御免を表示したものである。
左様、飛騨の高山は、やはり幕府の直轄地であって、諸侯の城下ではないために、勤王を標榜《ひょうぼう》するやからよりは、水戸とか、新徴組とかいって入り込む方が今のところ、便宜がよろしいものと見える。
兵馬は、いたる所でこんな高札を見かけることを珍しいとはしなかったけれど、これほど明瞭に保存されているのは少ないと思いました。立てるとまもなく汚したり、壊したりして、みじめな有様になっているところも多いのに、ここは相当年月を経ながら、かなり完全に保存されて、明瞭に読み得られることに、物珍しさを感じたくらいです。
しかし、顧みてみると、自分もこれで年少ながら、浪人の端くれとしての形を備えているようだ。怪しいと睨《にら》まれれば、怪しいと睨まれても仕方がないのだ。咎《とが》め立てをされれば、一応は弁解をしなければならない身だし、万一その弁解ぶりに疑点をさしはさまれて、土地の人気にでも触れようものなら、相当に冒険が無いとは言えない身の上だが、甲府城下では、あんなことになったのは是非もないが、その他のところでは、まずどこへ行っても、挙動不審と見られたことのないのは、一つは少年のせいでもあろうが、一方から言うと、こんな高札を立てたこと、そのことがすでに幕府の警察力の薄弱を充分に暴露したもので、怪しいと見た奴は容赦なく召捕れとか、手向い致さばきり殺すとも、打ち殺すとも勝手次第と触れてみたところで、お上《かみ》役人そのもののもてあます浪人を、進んで咎《とが》めたり、からめたりしようという向う見ずは、人民の中にそうたくさんありそうな理窟はない、有名無実な高札だとして、さのみ心に留めてはいませんでした。仏頂寺、丸山の徒ならば、横目で睨んで冷笑を浴びせて通るべく、南条、五十嵐あたりならば、墨を塗って走り去るかも知れません。
ともかくこの高札が、数年前に掲げられたまま無事であるということが、この地が何というてもまだ直轄の有難さであり、それだけ山間の平和を示しているものと見られないでもない。だが、兵馬は、この高札場へ立寄ったのは、これを読まんがためではなく、何かの道しるべを見たかったからです。
仏頂寺、丸山が教えることには、飛騨の高山はあれで幕府の代官地だ、ことに先年やって来た旗本の小野朝右衛門の倅《せがれ》鉄太郎は、今は山岡姓を冒《おか》しているが、この地に於て剣術の手ほどきをしたものだ、ここで井上清虎に就いて剣を学びはじめたのが、そもそもあの男の剣術の振出しだというようなことを言ったから、兵馬はそれに好奇を感じ、一つにはその鉄太郎の修行の名残《なご》りをたずねよう心構えをしていたのです。
十三
先年、飛騨の郡代として来任した小野朝右衛門|高福《たかよし》の次男に鉄太郎というものがあって、それが後に山岡姓をついで、当時江戸の講武所で名うての剣道者となっている。
この飛騨高山が、その人の発祥地とはなつかしいようだ。左様の人物を育てたくらいの所だから、今も相当にその道の達人がいるか
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