「何が、へ、へ、へ、だい、大きなずうたいをしやがって、頓馬《とんま》だねえ」
お角さんが、啖呵《たんか》を切ってやりました。これはこの場合、お角さんとして少し癇が強過ぎたかも知れません。
そう好んで喧嘩を売りたがるお角さんではないのだが、この時は虫の居所が悪かったのです。
「何、何じゃ……わりゃ、頓馬だと言いおったな」
相撲取が、急に気色《きしょく》を変えました。
こいつは、あながち取的ともいえない、勉強さえすれば十両ぐらいにはなれそうな奴だが、田舎廻《いなかまわ》りのために慢心したのか、最初からキザな奴だ。
「言ったよ、頓馬と言ったのが悪かったのかえ、人の足を踏んで、御挨拶の一つもできぬ奴は、頓馬だろうじゃないか」
「わりゃ、天下の力士を知らんか?」
そこで、物争いに火がつきました。だが、この物争いは火花が散るまでには至りません。
それは、お角さんの気合いが角力取を呑んでしまったというよりは、天下の力士というものが、こうも多数に集まっていながら、一人の女を手込めにしたという風聞が立っては、外聞にはならないのみならず、人気にも障《さわ》るということに気がつかないわけにはゆかなかったからでしょう。
女というだけに、そこにどうしても優先権があるようです。しかし、また一方から言えば、天下の力士ともあるべきものが、女一人をもてあましたとあっては、外聞はとにかく、この場の引込みがつかないという事情もあるようです。
お角さんは、それをせせら笑いながら、手廻りのものを押片附けて、待たしてある駕籠屋《かごや》を呼ぼうとすると、この時、店の一方で遽《にわ》かに、すさまじい物争いが起りました。ほんの一瞬間の言葉|咎《どが》めから争いが突発したものらしく、さすがのお角さんさえ、度胆を抜かれて振返ったくらいです。
見ると、黒縮緬《くろちりめん》の羽織いかめしい、この相撲取の中でも群を抜いたかっぷく[#「かっぷく」に傍点]と貫禄に見えるのを、これも劣らぬ幕内力士らしい十数名が取りついて、遮二無二、これを茶店の外へ引きずり出そうとしているところです。
これは下っ端の争いではなく、いずれも幕の錚々《そうそう》たる関取連が、腕力沙汰を突発せしめたのだから、事の態《てい》が、尋常よりはずっと大人げなくも見え、殺気立っても見えます。抜群の関取は必死に争うけれども、衆寡《しゅうか》敵せず、大勢の力士連に引きずられて、ついに鳥居傍まで、地面をズルズル引きずられて行く光景は、物凄《ものすご》いものでした。
鳥居下まで引き出して、そこで、群がって来た大小上下の相撲連三十余名が、件《くだん》の一人のズバ抜けた関取を、打つ、蹴る、なぐる、文字通りの袋叩きです。
お角も呆気《あっけ》にとられてしまいました。相撲連の土俵の上の取組みは、商売だから見ていても壮快を感ずるが、この真剣な暴力沙汰、それが力商売の者――しかも、幕内から三役以上と見えるやからが一団となって、うなりを成して飛ぶ本物の肉弾、今までに見たことのない光景、殺気満々たるすさまじさ。
こちらで罵《ののし》るところを聞いていると、いま袋叩きに会っている大兵の関取は、この一行の東の大関、島川太吉というので、かねて大勢に憎まれている鬱積が、何かの機会でここに爆発し、三十余名の大勢が一つになって、大関一人をメチャメチャに袋叩きという暴行です。
四十二
大関島川はこうして、三十余名の関取連のために思う存分の袋叩きを蒙《こうむ》って、ほとんど半死半生で鳥居の傍にぶっ倒され、動くこともできないでいる。
お角も今まで、いろいろの活劇を見たし、自分も触れもしたけれど、こんな凄まじい騒ぎははじめてです。それは刃物こそ用いないけれども、普通人の十倍二十倍の腕力のあろうという連中の暴行沙汰は、すさまじいことの限りというよりほかは、言いようがありませんでした。
それにしても、大関とまでなっている者が、こうも大勢の気を揃えて憎まれることもあるまいものだ――それも物凄いことだと思ったが、これは手の出しようも、足の出しようもありません。参詣の人々も同様、すさまじがって、みすみす、震え上っているばかりです。そうして、充分に袋叩きを加えて、もう当人が動けなくなっているのを見すまして、加害者側の力士共が、また茶店へ戻って来ようとする時、一方からまた同様の相撲連が十余名ばかり息せき切って走《は》せつけて来るのです。すわ、また喧嘩の仕返しかと見ていると、そうではなく、新たに飛んで来た一行の頭《かしら》は、若駒という西の大関で、変を聞いて仲裁に来たのだとのこと。
この新手が、被害者を介抱する、あとかたづけをする――
騒ぎは大きかったけれど、もともと内輪同士のことであり、斬っつはっつに及んだというわけでもないから、事の落着は存外単純にして、無事に済んだようです。
そうして、これらの連中、大風の吹き去った後のように、いずれへか引揚げてしまってみると、ひとり取残されたようなお角さん、なんだか狐につままれたように思われないでもない。
お銀様はまだ戻って来ない。
迎えにやった庄公も梨の礫《つぶて》です。お角は、ようやく焦《じ》れったがりました。
そうそうはお嬢様にかまっていられない、子供じゃあるまいし。それに今日は、名古屋で行きつき先がきまっているのだから、やがて庄公が、尋ね出してお連れ申して来るに相違ない、ままよ、これから一足先に名古屋へ伸《の》しちまえ、宿について、ゆっくり待ち構えていた方がいい、たまには、こっちが出し抜いてやるのも薬になる――といったような中ッ腹で、お角は、宮の鳥居前から、名古屋へ向けて、駕籠《かご》を飛ばさせることにきめてしまいました。
一方――お角の見た眼前の光景は、あの通りすさまじいものでしたけれど、また存外、簡単に、型がついてしまったようなものですが、しかし、このホンの一場の活劇の新聞が、忽《たちま》ちにして、恐ろしい伝播力をもって、加速度に拡がって行ったことは、如何《いかん》ともすることができません。
熱田の宮の前で、東西の相撲があげて大血闘を起している、死傷者無数、仲裁も、捕手も、手がつけられない、まるで一つの戦争である、なんでも尻押しは、海から軍艦で来た異国人であるそうだ、やがて熱田から名古屋が焼き払われる――この風聞が街道筋を矢のように飛びました。
これは、あながち、根拠の無いことではありません。現に、あの鳥居|傍《わき》の袋叩きの乱闘を一見したものは、たしかに、それほど大きく吹聴すべき根拠はあったのです。それが輪に輪をかけたというだけのもの。
町並、街道筋の驚愕と狼狽――ひとたび、浦賀へペルリが来てから以来、日本人の神経は過敏になり過ぎているようです。物の影に怖《お》じたがる癖がついている。影を自分から拡大して、そのまた拡大した影に、自分から酵母を加えて驚きたがる癖が出来たようです。
熱田の宮前では、今や家財道具のおもなるものを持ち出すの騒ぎになっている。仏壇を背負い、犬猫を蹴飛ばすの混乱になってきました。おりから、このところへ通り合わせた車上に於ける宇治山田の米友と、その車力。
車力と後押しはこの騒ぎを聞くと逸早く、大八車をおっぽり出して、一目散に逃げてしまいました。
四十三
大八車の上に置き残された宇治山田の米友。多くの人の周章狼狽を解《げ》せないことだと思いました。
熱田の宮の前で喧嘩が始まったということが、忽ちに戦争に変化して、やがて、異国人が押寄せて来た! それ! という叫びで、すべてがあわてふためいて動乱して、我勝ちに走り且つ倒れつつ逃げたのは、甚《はなは》だそのいわれなきことだと思わずにはいられません。
喧嘩にしても、戦争にしても、鬨《とき》の声一つ聞えないではないか。太刀打ちの音も、矢玉の叫びも、何一つ合戦らしい物の響はせず、もとより火の手も上っていない、狼藉者《ろうぜきもの》及び軍兵らの影も形も、一つも見えないではないか。それだのに、戦争! 異国人が押寄せて来た……
時代が少し怯《おび》え過ぎているとは米友は知らない。濃尾地方は地震がありがちの地だから、地震に関聯してそれ異国人、朝鮮人と、魂を浮動させるように出来ているのではないか、とも思いました。
浦賀へ来たペルリは軍艦四艘、人員二千人足らずであったが、江戸へは六百艘八万人と伝わり、京都へは三十万人と伝えられたそうな。彼等の祝砲に驚いて仏壇を背負い出し、彼等が敬礼のために一斉に剣を抜けば、素っ刃抜き[#「素っ刃抜き」に傍点]と思って身構えをし、鉄砲を一組にして砂の上に立てれば、我に油断をさせておいて不意に襲撃するのだと疑い、葡萄酒《ぶどうしゅ》や、麦酒の空壜《あきびん》を海に捨てれば、毒物を流して日本人を鏖殺《おうさつ》するの計画と怖れ、釣床に疲れている水兵を見て異人は惨酷だ、悪事を為したものには相違なかろうが、ああしてつるして置かなくってもよかりそうに、と眉をひそめたり、姿見鏡を見て向うに一人ありと信じ、蝋燭《ろうそく》一梃を貰い受けて、これを分配して家宝にし、多量の水を軍艦に供給してやり、さてこの水をどうして引きあげるかと見ていると、手桶を要求しないで、大きな鉄索を突き出した、こんな大きな鉄索で手桶が縛れるものかと冷笑しているうちに、その鉄索がゴトゴトとして瞬く間に水を艦内に吸い上げてしまったことに仰天して、これ切支丹の魔術なりと叫んだ、といったような驚異と誇張とが至るところ、日本の人心を怯えさせてるようになっているらしい。
ことに、この熱田明神の御剣には、昔から異国人が思いをかけている。一度|高麗《こうらい》の奴に盗み出されたことがあったが、それは神剣の威光で無事戻って来たという奇蹟もある。異国にはよい刀が無いから、日本の神剣を盗みたがる、戦争が始まれば、必ず海からこの熱田へ黒船が侵入して、真先に神剣を奪いに来るなんぞという浮説が、日頃この辺の人心をそばだて、そこで騒ぎがあると朝鮮人! そこで、仏壇を背負い出す手順になったものらしい。
米友には、いつまで経っても、それが解《げ》せないのです。よし異国人が押しかけて来たからといって、こっちが負けるときまったわけのものではなし、いったん気を落着けてから、気を揃えてかかるのが本当だと信じているのに、影も形も見ない先に、仏壇を背負い出すことは、全くいわれのないことだと思いました。
しかしながら、米友が車上にたった一人置去りにされたのみならず、この附近の町内は全く無人の境です。
どうにも仕様がありません。この分では、こうして長いこと待っていたところで、逃げて行った奴は容易には戻るまい。
いつまでも、ここにこうしているのも気が利《き》かない。そうかといって、これを打捨てて自分も走るという気にはなれない。やや暫く思案した後、
「ええ、ままよ……そこいらまで引張ってやれ」
米友は車上から下りて、今まで車上の客となっていた身が、急に車力の地位にかわりました。
四十四
米友は、この無人の境をたった一人で、エンヤ、エンヤと、大八車を引っぱって動きはじめました。
いくら行っても、同様、太刀打ちの音も、矢玉の叫びも、火の手もなにも見えるのではありません。
いずこに動乱の象《しょう》ありや、異国人の襲来ありや、とんとそれは煙も見えないのです。
いよいよ解せないことに思いつつ、この無人の境を、米友はなおもエンヤ、エンヤと、車を引いて行きました。
本来、大八車は代八車で、八人の男によって曳《ひ》かるべきものか、そうでなければ、八人の男の代りに使用せられつつある器具ですから、後世の瀟洒《しょうしゃ》たる荷車よりも、ズッと大柄に出来ていました。それを通常よりは甚だ小柄なる米友が引っぱって行く光景は、かなり可愛らしいものであります。
だが、車力はついに馳《は》せ戻って来ないのです。この分では、それを期待することは覚束ない。
「ままよ、こうして名古屋まで伸《の》しちまえ」
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