くということが、これ大きな不思議であります。
 道庵先生にも、一目も二目も置いているけれども、これは先輩長者としての尊敬から出るので、正義と、理窟の場合には、一歩を譲ることの引身《ひけみ》をも感じていないのだが、お角さんに逢うと、正義も、理窟もなく、無条件で米友がすくんでしまうのは、おかしいくらいです。
 これは前世の悪縁とかなんとか言うよりは解しようがありますまい。蛇と、蛞蝓《なめくじ》と、蛙とが相剋《そうこく》するように、力の問題ではなくて、気合のさせる業。理窟の解釈はつかない宿縁というようなものの催しでしょう。
 とにかく、米友は、やみくもに出発しようとして、お角さんのことを考えると、ポッキと決心が折れてしまい、恨めしそうに、お角さんの方の部屋をながめたが、やがて、くずおれるように下にいて、せっかく、ととのえた旅の仕度を、いちいちもぎ放してしまって、今まで飾り物のようにしてあった宿の夜具蒲団の中へ、有無《うむ》をも言わさずに、もぐり込んでしまいました。

         三十五

 さて、二度目に目が醒《さ》めた時は、しなしたりや、もう日脚が高い。むっくと起きて、そのまま、お角さんの前へ伺候しようとして女中に聞くと、その一行はもう出立してしまったという。
 そうかそうか、悪い時には悪いものだ、グレる時には一から十までグレるものだ、ここでも、みんごと、置いてけぼりにされてしまった。よく、聞いてみると、お角さんは存外、腹を立ってはいなかったらしい。
「あのお客さんも疲れたらしいから、ゆっくり寝かしてお置き。目が醒めたら御飯を食べさせて、わたしたちは先へ名古屋へ行っているから、これこれのところへ、あとから尋ねておいで……」
とこう言って、お角さんが米友のために、充分な好意を残して置いて先発したらしいから、米友もホッと息をつきました。
 米友としては、度胸を据えたようなもので、飯も食い、お茶も飲み、旅装も型の通りにして、上《あが》り框《かまち》から草鞋《わらじ》を穿《は》き、笠をかぶり、杖を取って、威勢よく旅を送り出されようとする時、その出鼻で、またしても一つの悶着《もんちゃく》を見せられてしまいました。
 それは、大八車が一つ、この宿屋の店前《みせさき》についていて、そこに穀物類が片荷ばかり積み載せてあるその真中に、四角な鉄の檻《おり》が一つある。その大八車が、ちょうど、米友の出口を遮《さえぎ》っているから、街道へ出るには、その車を廻らねばならぬ。その通りにして米友が車の表へ出ると、悶着というのは、そこで展開されていた出来事なのです。
 それは別事ではありません、例の熊の子を、幾人かして抱きかかえて連れ出そうとするのを、前例の如く子熊がしがみついて離さない、大の男が幾人も手をかして、しがみついた熊の子をもぎ取ろうとして、昨晩、米友の部屋で行われたと同様の悶着を、ここでも繰返しているのです。
 しつっこい話だな――と、米友が少しく眉をひそめて見ていると、熊の子が、例の親熊の皮だというのに必死になってしがみついているのを、数多《あまた》の人が、もぎ取ろうとしていること、昨夜と変りがありません。
「まだ、やってるのかい、どうしたんだなあ、しつっこいじゃねえか」
と、米友が口を出して呟《つぶや》きました。通り一ぺんの男の差出口なら取合いもしないのだが、これは、かりにもお客様のお言葉だから、熊の子いじめの宿の若い者も、一応の挨拶を返さないわけにはゆきません。
「いや、どうも、なかなか強情な子でござんして、熊だけに、力があるもんでござんすから、なかなか離しませんや」
 だが、昨晩あれから引きつづいての悶着ではあるまい。昨晩のことは一旦あれで済んで、今朝また別の勢いで、繰返しているに過ぎないだろう。それにしても、人間というやつは、知恵も、力も無さ過ぎると、そぞろに哀れを催したが、さりとて、なぜかこの連中に代って、熊の子を、熊の皮からもぎ[#「もぎ」に傍点]離してやろうという気にもなりませんでした。
 そのうちに、大勢の力を極めて、ようやくにして、熊の子の手から、熊の皮をもぎ離してしまうと、子熊を有合わす縄で、よってたかって縛り上げて、そうして米友がさいぜん見た、大八車の上の四角な檻の中へ、無理矢理に押し込もうとするのです。人間共に寄ってたかって手込めにされるから、子熊はなお力限りに争って、悲鳴を揚げながら、しきりに身振りをするのを、例の親熊の皮を欲しがって身悶《みもだ》えをするのだということが、昨晩の実例と、説明とを聞いているだけに、米友の頭にはハッキリと受取れました。
「無理はねえ――」
 その途端に、米友が、何かに感動させられたように、急に身ぶるいし、
「その熊の子をどこへ連れて行くんだい」
「名古屋の香具師《やし》に売ることになりました」
「香具師に売る……」
と言って、そのまるい目を異様にかがやかせたものです。

         三十六

「ま、ま、ま、待ちねえ」
 それを聞くと米友が、まるい目を異様に輝かせた後、その口を烈しくどもらせて、
「ちっと、待ってくれよ」
 人々は、この異様な小冠者と挙動に、やや驚かされはじめました。それを米友が畳みかけて、
「待ってくんなよ、お前さんたち、この熊の子を香具師《やし》に売るんだって、香具師に売るんなら売るんでいいけれども、そうなると、この親熊の皮はどうなるんだ」
「ええ、皮の方は売りませんのでございますよ」
「そいつは無理だな」
 米友が、やや詠嘆的に言いました。人々は熊の子を檻に押し込むことに夢中で、米友の言うことに多く取合っている余裕がありませんでした。
「そいつは、ちっと無理だよ、どうしても売らなくってならねえんなら、皮も附けてやんな」
 更に米友が、勧告とも、要求ともつかない口出しを試みたけれど、挨拶がない。
「あれほど欲しがるんだから、皮もつけてやんな」
 三たび米友が勧告しましたけれど、やっぱり誰も取合いません。そのうちに、ようやくのことで、ともかくも、大男が大勢かかって、一頭の子熊を、車上の檻の中に押し込んでしまって、ホッと息をついているところです。
 子熊は檻の中にころがし込まれながら、悲鳴をあげて、親皮の方をながめながら、足をバタバタしているのに頓着なく、店の者共は、
「いや、どうも御苦労さまでした、それではまあ親方へよろしく」
「どうもはや、御苦労さまでした」
 車力がそのまま車の棒を取上げる。檻の中へ入れられた子熊は輾転《てんてん》として、烈しく悲鳴を立てました。その時ずかずかと走《は》せ寄った米友は、大八車の桟《さん》を後ろから引っぱって、
「まあ、待ってくんな、どうも罪だよ、見ていられねえよ」
と言いました。
「へ、へ、へ」
 何ということなしに、一同がテレて、面《かお》を見合わせていると、米友は、
「どうも見ていられねえよ、子が親の遺身《かたみ》を恋しがるというのは人情だからなあ」
と言いました。この場合、人情というのは少しおかしい、正しくは熊情というべきでしょうが、それを訂正している余裕が米友になく、また集まっている人たちも、米友の権幕が意外に真剣なものだから、その言葉ちがいを笑っている暇がありませんでした。そこで米友は畳みかけて、
「それもお前、普通の遺身《かたみ》と違って、生皮なんだろう、それをお前、欲しがって離れられねえというのは人情だろうじゃねえか、人情を無視して、それを引裂こうなんて、どうしても罪だなあ」
 米友が、その怪力で後ろから車の桟を抑えているものだから、前なる車力が、車を引き出そうにも引き出せません。
 そこで、勢い、大勢の者も米友を相手にして、一応挨拶の形をつけねばならなくなりました。
「なあに、畜生のことですから、今はあんなに騒いでも、直ぐに忘れてしまいまさあね、打捨《うっちゃ》っておいて下さいまし」
 こう言って、米友をなだめにかかったが、米友はそれを肯《がえん》じません。
「いまに、忘れるか、忘れねえか、それは熊に聞いてみなけりゃわからねえ、眼前、こうして恋しがるのを人情として、見殺しにするのは罪だあな。その皮をくれてやんな、あんなに欲しがるんだから、皮をあの子熊にくれてやんなよ、いくらのもんでもなかろうじゃねえか」
「へ、へ、どういたしまして、これでなかなか安い品じゃございません、玩具《おもちゃ》にくれてやれるはずのものじゃございません」
「そんなら、おいらに売ってくれねえか」
 米友が、かさにかかって一同を見下ろしながら、買収の交渉を持ち出したものです。

         三十七

 ほどなく、鳴海の宿で、名古屋へ向って行く大八車の上に、上述の穀物の片荷と、その間に四角な鉄の檻と、鉄の檻の中に、いったん縛られた手足を解放された子熊と、その子熊に、しっかりと抱かれた親熊の皮と……それから、鉄の檻をそっくり両股にかかえ込んで、杖槍を荷ったまま車上の客となっている、宇治山田の米友の姿を見出しました。
 前には車力が一人、後ろには後押しが一人、かくして、意気揚々……というほどでもないが、米友は車上で名古屋へ乗込むという段取りになったのは、思うに、さいぜん交渉に及んだ買収の申入れが、順調に成立したものでしょう。
 相当の高価を償《つぐの》うて、あの親熊の皮を買い取って、この子熊に与えてやったものと見なければなりません。
 果してそうだとすれば、いくらで買収したか。こっちに掛引きがないから、先方に多少足許を見られたような形跡はなかったか。そうだとすれば、行きがかり上、値でない値を吹きかけられて、啖呵《たんか》は切ってみたが、さて懐ろ都合のために、四苦八苦をさせられたようなことはなかったか。
 しかし、物事はあんまり見くびるものではありません。米友といえども、多少は道庵よりお給金もいただいていることでもあろうし、今日まで何かにつけての稼《かせ》ぎ貯めというようなものを、本来、酒を飲むではなし、バクチを打つではなし、女に注ぎ込むという風聞を聞かない男だから、相当に貯め込んで、腹巻かなにかにおさめているに違いない。タカが熊の皮の一枚、高かろうとも、安かろうとも、はたで心配するほどに持扱いもしなかったろう。いくらで売りつけられて、いくらで買い取って、それが多少の買い得であったか、全然買いかぶりであったか、その辺のことは、あまり深くたずねないがよいと思う。ただともかく、こうして米友がかなり御機嫌よく車上の客となって、名古屋へ乗込んで行く光景を見れば、事の交渉は、双方の折合いで無事に解決したものと見てよろしい。
 ほどなく、米友は車力に頼んで、一袋の煎餅《せんべい》を買い求め、それを檻の中の子熊に与えることで、我を忘れるの境に入りました。
 そうして行くうちに、この子熊に対する愛着が、ようやく深くなってゆくことは是非もないらしい。
 木曾街道では、獣皮屋《けがわや》の店頭に飾ってあった大熊に見惚《みと》れて、そうして道庵を取逃してしまったことがある。
 この動物を見ているうちに、米友が次第次第に吸い込まれて、憐愍《れんびん》から愛着、愛着から同化、ついに自他の区別を忘却するまでに至るのは、一つは、この獣と関聯して、どうしても無二の愛友であったムク犬のことを、思い出さずにはいられないからです。
「ムクはいい犬だったなあ、いい犬だよ、あんないい犬は、天下に二つとはありゃあしねえ、今はどこにどうしていやがるか」
といって、思わず頭をあげて嘯《うそぶ》いたけれども、眼はやっぱり子熊から離れないのです。
「こいつは、ムクの子かも知れねえ」
 米友になじみつつ、煎餅をかじる子熊の姿を見ると、米友がたまらなくなりました。光るものが一筋、米友の眼尻から糸を引いて来るようです。
 売られて行くんだな、香具師《やし》のところへ……そう思うと、昔の自分たちのことが、身にツマされてきました。お君、ムクもろともに、自分たちは、やはり興行師の手にかかって苦労した覚えがある。あれは売られたんじゃない、救われたようなものだが、やっぱり苦い味はなめさせられた。こ
前へ 次へ
全17ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング