して、病気の養生をさし置きながら、男三昧《おとこざんまい》のしたい放題、角力《すもう》が来れば角力、役者が来れば役者、外にいるやくざ者、家へ置くのらくら男、みんな手を出したり、足を出したり、世間の物笑いは苦にもせず、親類一同の顔に泥を塗り、それのみか、御亭主の直右衛門殿の病気でふせっている眼の前で、浅公という若い奴ととち[#「とち」に傍点]狂い、世間の噂《うわさ》では、毒を盛って直右衛門殿を殺したといわれる。それで、その浅公という若いのを連れて、温泉びたり、いい気になって湯水のように身代をつかい散らす、あれで罰《ばち》が当らなければ当る人はないと、皆さんまで、みんな評判をなさったじゃないか。ところがどうです、お天道様はムダ光りはござんせんや、とうとう白骨の谷で神隠し、沼へ落ちたとか、岩にぶっ裂かれたとかいって、今日まで行方知れず、ほんとに天罰は争われないものだと、皆様もおおっぴらにおっしゃった。こっちも、やれやれ浅ましいことじゃ、せめてものこと、その浅ましい死様《しにざま》が曝《さら》されず、神隠しになっているがお慈悲じゃ、沼へ落ちたなら、死体がまったく底へ沈んでしまって浮き出さないよ
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