いつも、売られて行く、頑是《がんぜ》なく、今は何も知らねえが、今に泣かされることだろう……と米友は身にツマされてくると、自分たちというものと、ムク犬と、それからこの子熊との間の境がわからなくなり、子熊のために同情したのが、かえって自分の身に火がついたように思い、この子熊の前途の運命を、よくしてやることが、自分の身に降りかかる火の子を払わねばならぬことのように思われ、
「こっちで買うんだ、この熊はよそへはやれねえ……」
と叫びました。
三十八
それは当然のなりゆきです。この子熊のために親の敷皮を買ってやった時から、定まったなりゆきでありました。米友の同情は、そこまで導かれねば止まないことは、初めにわかっているのだが、米友は今更のように、こうなった上は徹底的に、子熊の運命を見届けねばならないという自覚で叫びました、
「先生に頼んで買ってもらわあ、おいらが買えなけりゃ先生に頼まあ」
先生というのは道庵先生のことです。
熊の皮を買うのは、米友の独力で無難に進んだが、それは子供であるとはいえ、生きている動物一つを買い取るには、自分の懐ろだけにそうは自信が置けなかったのでしょう。
頼みきったる親分の、道庵先生に頼めば、容易《たやす》く解決するとでも思ったのでしょう。
そこでホッと一息ついたらしいが、それからそれと起るべき難問題――つまり、生きた熊を買う以上には、この鉄檻を併せて買わねばならぬこと、鉄の檻と熊と併せて買ったからとて、この道中、宿屋で置きっぱなしにするわけにはゆかないし、さりとて、伝手《つて》を求めて江戸へ送り届けて置くということなんぞは理が通らないし、買い取った以上、徹底的にこの動物の運命を見届けて行こうというには、どこまでも旅中を伴って行かねばならないこと、それが犬の子や、猫の子であることか、熊の子では、永《なが》の道中を首へ縄をつけて、引っぱって、歩くことはできないから、勢い、この通りにして、鉄の檻へ入れたまま……そうなると、いかに米友が、怪力なりとはいえ、この鉄の檻を背負ったり、かついだりして、永の旅を行けようはずはないから、どうしても車が一つ必要になる、そうなるとこの大八車をも併せて買収しなければならない。そうなると、熊の子をのせた大八車を引っぱって、京大阪から、金毘羅道中《こんぴらどうちゅう》までしなければならないことに立至るのです。先輩の弥次郎兵衛、喜多八は、京都で梯子《はしご》を一梃売りつけられたのでさえも、あの通り困憊《こんぱい》しきっている。
それからもう一つ、食物です。犬や猫ならば……よし馬であったからとて、道中の食物には不自由させまいけれど、熊の食物ときては、米友としても当りがつくまい。
そんな、こんなの一切の葛藤《かっとう》は少しも頭にこんがらからず、米友は、絶対的にこの熊を救わなければならない、自分で買えないにきまっているから、道庵先生に、どんなに迫っても、これを買わせなければ置かぬ、そうして、ムクによって失われている愛着を、この熊の子の身の上の安全と、成長の上にかけて、最後まで見次《みつ》がねばならぬという固い決意は、もはや何物をもっても動かすことができません。
この時、米友の背後が遽《にわ》かにザワめいて、旗幟《はたのぼり》を押立てた夥《おびただ》しい人数が、街道を練って来るのを認めました。
まもなく、近づいたのを見ると、それはしかるべき大相撲の一行であります。
相撲連が、のっしのっしと大道を歩んで行く。その旗のぼりにはおのおのその名前が記されてある。こうしてかおみせのような勢いで、名古屋上りをするものと見えましたが、それに続いて夥しい人数が、後から後からと続いているので、往来が暫く遮断されたようなものです。米友はその夥しい後詰《ごづめ》を見ると、直ちに、これは「折助《おりすけ》だな」と感じました。それにしても、こんな大勢の折助が、まさか、名古屋城攻撃に出かけたわけでもあるまいが、折助もこうたくさんになると一勢力だ。天下の往来を、折助で独占してしまうこともできる。
見ると、これらの無数の折助連は、横綱、大関をはじめ、取的連のふんどしを、みんなして担いでいることを知りました。
「人のふんどしで相撲をとる気だな」
と、米友は冷笑してみたけれども、その何百千の折助のために、自分の車が動かなくなっていることを、如何《いかん》ともすることができません。
三十九
これより先、女興行師の元締お角さんは、お銀様にかしずいて鳴海の宿を先発して、熱田の宮に参詣を試みたところです。
お角さんは、神社仏閣をおろそかにしてはならないことをよく心得ています。街道に於ていずれの神社仏閣にも丹念に礼拝をこらさないということはありませんが、ここの熱田の宮へ来て
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