焼かせられる番だ。さあ、こうしちゃいられねえ」
 道庵は狼狽《ろうばい》して飛び起きざまに、いきなり次の間の戸棚をあけて、もしやと調べてみたが、戸棚の隅にも、火鉢の抽斗《ひきだし》にも、わが忠実無二の保護者たる宇治山田の米友の、影を見出すことができませんでした。

         三十一

 その夜、宇治山田の米友は、鳴海の宿の旅籠屋《はたごや》の一室で、何かの物音に、ふと夢を破られました。
 夢を破られて見ると、自分というものが、蒲団《ふとん》の上には寝ていないで、こちらの方の大きな熊の皮の上に、仰向けに、大の字なりに寝そべっていることを知りました。
 大抵の場合に於て、この男は、素肌に盲目縞《めくらじま》の筒袖一枚以上を身に纏《まと》うことを必要としないように出来ているし、夜分に於ても、それ以上の夜具があってもよし、なくてもよいことになっているが、今宵の場合は特に疲れが激しいから、用が済むと共にこの敷皮の上に寝そべったまま、ついに夜更けに立至ったものと思われます。
 そのはずです。日中には名古屋の市街から、宮、熱田を七里の渡しの渡頭《ととう》まで行って、更に引返して、呼続《よびつぎ》ヶ浜《はま》、裁断橋《さいだんばし》――それから、まっしぐらに、古鳴海《こなるみ》を突破して、ついに、ここまで落着いたのだから、前後左右を忘れるほどに疲れきって、つい寝そべってしまったことも無理はありません。
 半ば以上無意識で、睡眠をとろりとさせていたが、やはり夢を破られても夢心地で、
「やんなっちゃあな[#「やんなっちゃあな」に傍点]」
と、米友は、ひとりでこう呟《つぶや》きました。
「やんなっちゃあな」というのは、更に正しくてにをは[#「てにをは」に傍点]をはめてみると、「いやになってしまうな」ということで、これに漢字を交えてみると、「忌《いや》になって仕舞うな」ということなのです。何が忌になってしまったのか、それを強《し》いて穿鑿《せんさく》する必要はありません。ただ眼が覚めた途端の口小言と見ればよいのです。たとえば、転んで起き上る時に、「どっこいしょ」というようなもので、字句そのものに拘泥して、何がどっこいしょだか、どっこいしょでないか、それを詮議《せんぎ》する必要はないのと同じことです。
 そこで、米友は、半ば以上無意識の朦朧《もうろう》たる眼をもって、
「やんなっちゃ
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