いることなんぞも、更にお気附きのあろうはずがありません。
江戸に残された、道庵の股肱《ここう》と頼まれたデモ倉とプロ亀――の二人が、道庵不在を好機として、容易ならぬ反逆を試みたことは、以前にも少し記しました。
本来、デモと言い、プロと言い、道庵ある間は、天晴れ貧民の味方で、先棒をかついでいたが、本来何も特別の主義信念があって、道庵と行動を共にしていたというわけではなく、道庵に一杯飲ませられたのと、道庵の一面に備わっている暴君的独断に圧迫されて、寄りたかっていたのだから、少しでも、そのおみき[#「おみき」に傍点]と、圧迫から離しておかれれば、どっちへどうにでもなる連中です。
それのみならず、盟主と頼む道庵は、十八文をふりかざして、大いに貧民の味方らしくは振舞っているが、酒気に乗じて横暴を揮《ふる》い、独断を通し、時には暴力を以て、子分の者の頭にガンと食《くら》わすことなんぞもあるものですから、内々、反抗気分を蓄えていないではなかったが、存在する間は道庵の威力|如何《いかん》ともし難く、暴力をもってガンと食わせられても、道庵のはあんまり痛くありませんでしたから、我慢をしていましたが、我慢しきれないのは、さほどに横暴を極めながら、同志の者に廻す小遣《こづかい》がいかにも道庵並みにシミッタレていたことです。
これではたまらない、いつかしかるべき親分に乗り替えて、もっと飲めるようにしてもらわねばならないと考えていました。
ところで、このたびの上方《かみがた》のぼりこそ究竟《くっきょう》である。この留守中に、すっかり長者町に於ける、道庵の人気をさらってしまおうとの計画が実行され、その一つとして、多年十八文で売り込んでいる道庵よりは、三文安の十五文を看板にして、年も道庵よりはグット若い橋庵《きょうあん》先生というのを、担ぎ上げ、この方が道庵よりは少なくも三文は格安で、それだけ大衆向きであるという宣伝をさせました。
どうだ、これで胸が透いたろう、道庵の奴、いい気持で、江戸へ帰りつく時分には、お株はすっかり橋庵先生に奪われて、立場を失って、ベソをかく面《つら》がまえが見てやりたい、どんなものだい。
デモ倉と、プロ亀が腮《あご》を撫でましたが、ここに風のたよりに名古屋に於ける道庵の人気を聞くと、たまらないものがあります。名古屋に於て道庵が、ほとんど国賓待遇を受けているとい
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