る、この珍しき友の、遠方より来《きた》るものに向っては、充分の好意を披瀝せねばならぬとでも考えたのでしょう、暫くして馬共は、欣《よろこ》んで二人のために背中を貸しました。
 背中を貸すだけではなく、やや疲れたと見た時分には、草にふしたその腹を提供して、そこに凭《もた》れて眠ることをさえ許すの風であります。
 かくて、二人はえりどりに、甲馬から乙駒、乙駒から丙丁へと、のり替え、かけ替え、その終日を、馬と共に遊び興じて、ついに帰ることを忘るるほどの興味に駆《か》られて、事ここに至ったのです。
 行く時のつもりでは、ここでめぼしいのがあったら、二人で一頭ずつ曳いて帰るつもりでしたけれども、こうして馬を見ると、そのうちのどの一頭を選んで、自分のものにしようとの気分が、全くなくなってしまいました。
 これはこのままでよろしい、やはり野に置け――と言い捨てた時分に、ああ、日がもう御岳へ隠れてしまった、さあ、帰りを急がねばならぬ……

         二十七

 そこで、二騎相つれて帰路にはついたけれども、せっかく、ここまで来た以上は、雌沼《めぬま》、雄沼《おぬま》へ廻ってみようじゃないかという動議が成立し、ついにこの神秘なる二つの沼を探って帰ったために、帰りは全く夜になりました。
 それでも、二人は馬乗提灯をともし、上手に馬を御して、あえて焦《あせ》らずに、打たせて来たものですから、ところによっては、世間話に興を催す余裕さえあります。
 二人は、こうして若い同士に、清興と、冒険とを兼ねて、いい心持いっぱいで打たせて行きましたけれど、ここに気の毒千万なのは三騎のお附人《つきびと》です。
 出立の時から、相離れて、つき従っては来たけれども、この連中は、いずれも公達と兵馬ほどの乗り手ではなかったものです。お役目やむことを得ず、慣れぬ馬に鞍《くら》を置いて来たが、道の難所へ来ては、舵《かじ》をさらわれた舟のように煩《わずら》わされきって、おのおの泣かんばかりに鞍壺にとりついて歩ませたり、なかには下り立って、馬の口を取って、馬をいたわり歩かせて来る有様でしたから、自然、前なる二騎とは遠い隔りが出来てしまいます。
 高村卿は、世間話が、ちょっと時事に触れて来た時、一種の慷慨に満ちた憂色をもって、
「左様――何がどこへ落着くかわからない時代じゃ、宇津木、そなたはどう思います、関東の政治が続
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