いた猿のように捉えると、火は鼠花火の如く面白く走って、棚の上なる油単の元包みそのものに到着してしまうと、暫く火の手だけは姿を隠したが、やがて夥《おびただ》しい煙の吹き出して来たのを、組んずほぐれつの座敷の者は、誰あって気がつきませんでした。

         二十五

 これはまさしく一大|椿事《ちんじ》です。
 茸《きのこ》のさせる業と見るよりほかにみようはないが、それにしても、一応食物を分析した上でなければ科学的の立証はできないが、巷間《こうかん》の伝説に従えば、左様の例は決して無いことではない。
 茸のために一家|狂死《くるいじに》をしたということもあれば、笑死《わらいじに》をしたということもあるにはある。
 この附近の石占山《いしうらやま》というところは、文化文政の頃から茸の名所となってはいるが、そこで取れる茸は、松茸《まつたけ》、湿茸《しめじ》、小萩茸《おはぎたけ》、初茸《はつたけ》、老茸《おいたけ》、鼠茸《ねずみたけ》というようなものに限ったもので、そこから毒茸が出て、人を殺したという例《ためし》はまだ無い。
 しかし、茸の生える所がこの国で、石占山ときまったものでない限り、どこにどのような毒茸が真茸顔《まだけがお》をして、人間をたぶらかしていたか知れたものではない。天狗茸《てんぐたけ》、蠅殺茸《はいころしたけ》、虚無僧茸《こむそうたけ》、落葉茸《おちばたけ》、萌黄茸《もえぎたけ》、月夜茸《つきよたけ》、笑茸《わらいたけ》、といったようなしれものが、全く真顔をして、茸には慣れた山人をも誘惑して、毒手を逞《たくま》しうするという例も絶無ではありません。
 すべて、この場の突発椿事の一切の責任を、挙げて茸氏に帰《き》してしまおうとするのは、右に挙げた類の茸族のうちのいずれがその加害者であるか、或いはほとんど全部の共謀のような形になっているか、或いはその中のほんの一種類だけの悪戯《いたずら》に過ぎないか、その辺を再応吟味してみる必要はあるのです。いかに毒茸族が憎いからといって、茸の方から進んで人の口に飛び込んだのではない。その現行犯でないものをまでも捕えて、罪に落すのは酷といわねばなりません。
 しかし右の毒茸族のうちでも、今宵の犯罪者は、極左に属したものでないことだけは、不幸中の幸でありました。
 毒茸党の極左に属するものには、人間が手を触れただけで、その
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