ら、それに違いないと気がついたから、さてこそ弥兵衛さんと、旧知の思いをもって呼びかけてみたら、それが全く的中してしまったまでのことです。
今、弥兵衛さんの重そうに背負っているもの、それが、やっぱりお誂《あつら》え通りの鎧櫃《よろいびつ》と見えました。それを卸しもやらずに、立ちつくしている老人を気の毒だと思いましたから、親切なお雪ちゃんが、
「弥兵衛さん、重いでしょう、それをここへ卸して、少しお休みなさいな」
「はい、有難うございます、ではお言葉に従いまして」
と言って、弥兵衛は、これは制札ではない杖を置き、砂の上へ鎧櫃《よろいびつ》をどさり落した途端に、腰が砕けてまた立て直すところの呼吸なんぞ、ちい[#「ちい」に傍点]高の舞台でする調子そっくりでしたから、お雪ちゃんはわけのわからないながら、ほほえまずにはいられません。
三
老人が、やっと重い鎧櫃を下に置いて、ホッと息をつき、お雪ちゃんの横の方に腰を卸して煙草をのみはじめたものですから、自然お雪ちゃんは、親しく話しかけないわけにはゆきません。
「お爺《じい》さん、あなたは平家の落武者なんでしょう」
「へ、へ、へ」
弥兵衛老人は人相よく笑って、
「山奥へ行きますてえと、どこへ行っても、平家の落武者はいますねえ」
「でも、お前さんこそ、本当の落武者なのでしょう」
「やっぱり、先祖はね、そんな言いつたえもあります、珍しい遺物も、残っているにはいますがねえ」
「どこなんですか、お住居《すまい》は」
「あの山の裏の谷です」
「え」
「そら、あの真白い、おごそかな山が、北の方に高く聳《そび》えておりましょう、御存じですかね、あれが加賀の白山《はくさん》でございますよ」
「まあ、あれが加賀の白山でしたか」
お雪はいま改めて、群山四囲のうち、北の方に当って、最も高く雪をかぶって、そそり立つ山を惚々《ほれぼれ》と見ました。
「はい、あの白山の山の南の谷のところに、わしらは一族と共に、六百年以来住んでおりますでな」
「きまってますよ、平家の落人《おちうど》にきまってますよ、白川郷っていうんでしょう」
「はい、その白川郷の……」
「白川郷は、いいところですってね」
「え、いいところにも、悪いところにも、先祖以来、わしどもは、その白川郷から足を踏み出したことがございませんから、比較するにも、比較すべきものを持ち
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