た、
「どうか、これらの連中に、一本稽古をつけてやっていただきたい」
とのことです。兵馬はかえって、それを面白いことに思いました。
「おやすい御用です」
士分連も相当にいたのですけれども、それらは、少年兵馬を見るに異様な眼を以てして、進んで稽古をこおうとはしませんから、兵馬は、それにかまわず、借受けた道具をつけて道場の一方に立ち上ると、代稽古の紹介を待たず、勢いこんで躍《おど》り出したのは、猛牛のような一人。
少年兵馬の物々しさを侮って、いきなり、
「お面!」
と打ちこんで来ました。
それを兵馬が、ちょっとかわして、肩のところを竹刀《しない》で押えると、地響きを立てて横に倒れました。その、鮮かな初太刀が、集まっているすべての竹刀を休ませて、兵馬一人を見つめて、仰天の態《てい》です。
出鼻をぶっ倒された猛牛は、起き上るが早いか、覚えたかといわぬばかりに滅多打ちに打ちかかって来るのを、兵馬は軽くあしらい、軽く外《はず》し、あんまりくっついて来る時は、また軽い突きで二三間|刎《は》ね飛ばすと、猛牛が忽《たちま》ちヘトヘトになってしまいました。
猛牛が難なく退治せられたと見ると、道場内の空気が忽ち一変します。
しかし、やや怖れをなしたのは、多少心得ある者だけで、猛牛に次ぐに野牛、野あらし、野犬、まき[#「まき」に傍点]割り、向う脛《ずね》の連中が、得たり賢しと自分たちの稽古をやめて、我勝ちにと兵馬の周囲《まわり》に集まって来たことです。
でも、最初のように、いきなり、ぶっつかることはなく、一応は礼儀をして、一本お稽古を願う態度を示したはいいが、その後のぶっつかり方は、相変らず乱暴極まるもので、頭から力ずくで、このこざかしい若武者をやっつけろ、という意気組み丸出しでかかって来るから、兵馬はおかしくもあり、それが一層こなし易《やす》くもあり、猛牛も、野牛も、野犬も、野あらしも、薪割りも、見る間にヘトヘトにしてしまい、入りかわり立ちかわり、瞬く間に三十人ばかりをこなしたが、こなす兵馬が疲れないで、入りかわり立ちかわり連がかえって、道具をつける時間を失い、あわてて兵馬に暫時の休戦を乞うの有様でしたから、兵馬は居合腰になって竹刀を立てたまま、暫く休息していました。
士分連も今は侮り難く、謹んで兵馬に稽古をつけてもらうことになったのはそれからです。
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