いて、一議もなく、快き諒解《りょうかい》の下に、
「暫くお控え下さい」
 次の案内を、兵馬が玄関先で暫く控えて待っている間、この代官屋敷の奥の一方で、しきりに三味線の音と陽気な唄の声が立上《たちのぼ》るのを聞き、兵馬は一種異様の感を起さないわけにはゆきません。
 庭前では、道場を開放して四民の間に武術を奨励するかと見れば、奥の間ではしきりに三味線の三下《さんさが》り、それも、聞いていれば、今時のはやり唄、
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紺のぶっさき
丸八《まるはち》かけて
長州征伐おきのどく
イヨ、ないしょ、ないしょ
もり(毛利)ももりじゃが
あいつ(会津)もあいつ
かか(加賀)のいうこときけばよい
イヨ、ないしょ、ないしょ
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の調子で、荒らかに三味線をひっかき廻し、興がっている。
 それを聞いて兵馬が興ざめ顔になったのも無理がありません。

         十四

 庭前では尚武の風を鼓吹し、奥の間では鄭衛《ていえい》の調べを弄《ろう》している。
 それを甚《はなは》だ解《げ》せない空気に感じながら、用人の案内で道場へ通されて見ると、なるほど、盛んは盛んなものでした。
 もう数十人の稽古者が集まって、入りかわり立ちかわり、師範か代稽古か知らないが、大兵《だいひょう》の男を中心にぶっつかっている。他の隅々には、それぞれドングリ連が申合いの試合をしている。その景気を見て兵馬も一時は感心に打たれましたが、そうかといって、その盛んさがどうも雑然として締りがない。やっている連中を見ると、だらしなく参るのや、勢いこんで猛牛の如く荒《あば》れ廻るのや、先後の順も、上下の区別も血迷ってしまっているのが多い。そうして、なお、後から後から繰込んで来る面《かお》ぶれを見ると、百姓や、町人風はまだいいとして、ドテラを引っかけた博徒、馬方の類《たぐい》としか見えないのが、懐ろ手で乗込んで来るのを見ては、唖然《あぜん》として口のふさがらない次第です。
 これらの連中、ともかく、一応の礼儀をする、次に道具のつけ方を見ていると、正式に結ぶのもあるが、股引《ももひき》の上へじかに胴をくっつけるのもあり、ドテラの上へ直ちに道具をつけるのもあって、それらが申合いをすると、見ている者がドッと笑います。
 やがて代稽古らしい大兵の人が、稽古をやめ、道具を取って兵馬の方へ来て挨拶をしまし
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