ひとりで足をバタバタさせているほかには為さん術《すべ》を知りません。
 ようやくにして、次の言葉だけを歎願することができました。
「どうぞおてやわらかに願《ねげ》えてえものでがんす、借物ですからね、こう見えても、この烏帽子《えぼし》直垂《ひたたれ》は、土地の神主様からの借物でげすから――自分のものなら質の値が下ってもかまわねえけれど、借物だから、おてやわらかに願えてえもんでがんす」
 さすがに道庵先生は、江戸ッ子です。この場に及んでも、自己の一身上のための弁疏《べんそ》哀願は後廻しにして、まず借物にいたみのないようにと宥免《ゆうめん》を乞うのを耳にも入れず、
「たわごとを申すな」
と情け容赦もなく捕方は、ポカリと食わせます。
「こいつは驚いた、こいつはたまらねえ」
 道庵も混乱迷倒してしまいました。
 かかる折柄、米友が居合せなかったことの幸不幸は別として、米友は、さいぜん、木材を持ち来《きた》って一応の使命をおえた後に、程離れた世話人のところまで、風呂をもらいに行き、兼ねて夕飯の御馳走になっている時でした。

         七

 その晩のうちに、極めて無事に、名古屋の城下へ護送
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