のでしょう、下に抜穴があるか、或いは水分がしみ込むように出来ているのかも知れません」
「いいえ、見たところ、異状はありません、それに三階ですから、水の来る心配はないはずです、おおかた、部屋が陰気に出来ているせいなんでしょう」
「陰気――或いはそうかも知れません。陰気といえば、お雪さん、あなたこそ、ちかごろは、めっきり陰気が嵩《こう》じてきました、我々仲間でも、蔭ながら心配しているのは御存じでしょう、以前のような快活になれなければ、せめてもう少し元気におなり下さい」
「有難うございます、自分では、そんなつもりはないのですが、皆さんがそうおっしゃって下さるので、いやになってしまいます」
「あんまり一間にたれこめて、御病人の看病ばかりなさっているからです、たまにはこっちへ出て来て、この剽軽者《ひょうきんもの》の賢次の話相手になって御覧なさい、少しは気も暢《の》びてきますよ」
「それでも、何かと忙しいものですから、つい」
「何が忙しいことがあるものですか、忙しいほどの仕事がおありなさるなら、人にぶっかけておやりなさい、拙者なんぞにも、手伝わせてやって下さって差しつかえはございません」
「どうも、皆さんがお集まりのところへ出るのが、気のせいか、ひけ目に思われるようになりました」
「まあ、お話しなさい、火種はいつでもありますよ、この炉の中の火は、安芸《あき》の厳島《いつくしま》の消えずの火と同じことで、永久に立消えなんぞはしないから」
と言いながら、火箸を取り直そうとする途端、薄目になめした白樺の皮が、螺旋《らせん》を画いたように、ころころとお雪の足許《あしもと》に転がって行きました。
「おや――」
 お雪は蛇にでも覘《ねら》われたように、忽《たちま》ち足を引っこめて、
「何になさるのです、白樺の皮じゃありませんか」
「ええ、ちょっと手ずさみです。いや、手ずさみではありません、これからは一世一代の発明として、実用に供してみようという準備の細工なんですが」
「まあ、鳩をみんなお出しになって、並べてしまいましたね」
「ええ、その鳩のために、この白樺の皮の工夫があるのです」
「何になさいます」
「まあ、おすわりなさい、少しぐらいいいでしょう、ほんとに暫くでしたから、まあお話ししていらっしゃい、お茶をいれて、蕎麦饅頭《そばまんじゅう》を御馳走します」
「どうぞ、おかまい下さいますな」
「まあ、お話しなさい、それに、この大発明について、あなたのお知恵も拝借したいと思っていたところですから」
「わたしに知恵なんてございませんが、当ててみましょうか」
「当てて御覧なさい」
「この鳩に持たせる軽い文箱《ふばこ》を、その白樺の皮でこしらえようとして、苦心していらっしゃるのでしょう」
「図星《ずぼし》!」
 賢次は、わが意を得たりとばかり喜んで、
「お雪ちゃんの頭のいいことは、今に始まったことじゃないが、全く恐れ入ったものです、それに違いないのです、よくそこまで想像が届きましたね」
「なに、頭のいいこともなにもあるものですか、あなたはこのごろ、しょっちゅう、そうおっしゃってじゃありませんか、この三つの籠《かご》のうち、一つは飛騨《ひだ》の平湯行、一つは信州の松本行、一つは尾張の名古屋行だが、これに持たせてやる文箱《ふばこ》が無い、文箱が無くては、鏡山のお初でさえ困るだろうから、ひとつこの鳩に持たせる文箱を工夫してやりたいなんぞと、口癖のようにおっしゃっていらっしゃったではありませんか」
「そうでしたかね、そんなことを口走りましたかね、あんまりのぼせていたものですから、自分では気がつきませんでした」
「そうして、御工夫がつきましたの、その発明とやらが成就《じょうじゅ》なさいましたの」
「成就はしませんが、目鼻は明いたようなものです、御覧なさい……」
 北原賢次は、薄目になめした皮で、小さな目籠のようなものを仕立てたのを、取り上げてお雪の目の前に出し、
「これなら、この平和の使に持たせてやっても荷にはなりますまい。この程度に薄めて、この裏へ通信の文字を認《したた》めるんです、そうしてこうクルクルと捲いて、鳩の風切羽《かぜきりば》か、足のところへそっと結びつけるのですな、そうすれば、紙と違って、雨に逢っても、まず大丈夫だろうと思うんです」
「可愛らしい文箱ですね」
「お使者が可愛らしいから、文箱もそれに準じてね」
「ですけれども、これでは字を認めるところが、あんまり狭いではありませんか」
「その辺が精一杯ですよ、それより広くした日には、使者に持ちきれません」
「これでは、三十六文字ぐらいしか書けませんのね」
「眼鏡をかけて書けば、百字は書けますよ」
「でも、せっかくのたよりに百字ぐらいでは、何にも、言いたいことが言えないじゃありませんか」
「それはお雪ちゃんのよう
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