のが吉日ということもありますから、わたしは、これから大急ぎで身のまわりのとりまとめにかかります。
この次の手紙は、平湯で書いて上げるか、白川で書くことになるか、そうでなければ畜生谷――決して、そんなことはありませんけれども、もしや、道を踏み迷った時は――
弁信さん――
あなたに向って、助けを呼びますから、そのつもりで始終、勘を働かせていて下さいましな」
[#ここで字下げ終わり]

         五十七

 名古屋へ来て以来、道庵先生の持て方が非常に過ぎていましたから、そうでなくてさえ、いい気持の道庵を、全く有頂天《うちょうてん》にさせてしまいました。
 破格中の突飛なるもの――名古屋城天守閣の登臨を特許されたことは別問題として、あちらでも、こちらでも、在名古屋一流の名士、風流者、貧乏人といったようなものが、道庵を招請するの会の絶え間がない。
 今夕しも、尚歯会《しょうしかい》が発起で、道庵先生を主賓として、長栄寺に詩歌連俳の会を催すことを企て、その旨、先生に伺いを立てると、一も二もなく臨席を承諾してしまったものです。天守閣登臨の特許の筆法によれば、今夜の尚歯会の席には、也有、集木軒、息集軒、明星庵、無孔笛、幸山、君山、千秋庵、白雲房あたりの名星が、轡《くつわ》を並べて出席しないとも限りません。
 そうして、名古屋に於けるあらゆる名物という名物を、この機会に於て、残らず道庵先生に見せてしまわねば納まらないとの期待かも知れません。
 道庵がかくまで名古屋人士の人気を取ったという一つの理由は、無論木曾川で、ここの藩中の重役の命を取返したという余徳がさせることであるが、他の半面には、この医卜《いぼく》に隠れたる英雄(?)は、まず自分が何故に、わざわざこの金鯱城下に駕《が》を枉《ま》げたかという理由を説明して、それは郷国の先輩、弥次郎兵衛、喜多八が東海道膝栗毛という金看板をかかげながら、東海道の要《かなめ》を押えるところの尾張の名古屋を閑却しているということに、ヒドイ義憤を感じていること、宮簀姫《みやすひめ》を出し、頼朝を出し、信長を出し、秀吉を出し、金の鯱《しゃちほこ》を出し、宮重大根を出し、手前味噌を出しているところの尾張の名古屋の城下を踏まずして、東海道膝栗毛もすさまじいやという義憤が、わざわざ道庵先生をして、金鯱城下に駕を枉げしめ、先輩、弥次郎兵衛、喜多八の足らざるを補うという神妙なる親切気が、名古屋城下の人を歓喜せしめたのみではありますまい。
 名古屋に入るとまず、金の鯱なんぞには目もくれず、一直線に尾張中村まで来てしまって、そこで、豊太閤の供養を営んで、徳川幕府の忌諱《きき》に触れることを、意としないという大胆なる勇猛心が、心ある人をしてなるほどと感心せしめたのもその一つでしょう。
 それから、見るもの聞くものに対する軽率なる判断と罵倒《ばとう》――学者のことをいえば学者、医家のことをいえば医家、餅屋のことをいえば餅屋――酒屋のことをお手前物のように、踊りのことも、浄瑠璃《じょうるり》のことも、大根から味噌のことまで一騎に引受けて、苦もなく、こなすものだから、その博識は測るべからず、その大通は粋を窮《きわ》め、博識と大通のあまり、人を茶に浮かして興がることに生きている一代の逸民。
 つまり、こんなふうに、わが道庵先生を買いかぶってしまったればこそ、この江戸舶来の珍客に、名古屋の粋を味わわせて、歯に衣《きぬ》着せぬ批評を承っておくことは、名古屋人士にとって、後学の機会である。
 こういう人の罵倒は、罵倒せられた方も恥ではなし、また、こういう人に賞《ほ》められたのこそ、本当の粋中の粋なるものだ――というように買いかぶってしまったものです。
 そこで、次から次と、道庵滞名中の時間を繰合わせて、例のお数寄屋坊主を進行係に立てて、道庵先生の閲覧を仰ぐべきプログラムが編成されたものです。
 そのプログラムを逐一《ちくいち》、ここに掲げるのは煩《わずら》わしいことだが――情けないことには、道庵先生が、ことごとくいい気になってしまって、大のみこみで、よしよし、いちいち点検して遣《つか》わそう、残らず拝見して参りますよと、引受けてしまったことです。
 そこで、プログラムの編成者や、各催しの主催者側は恐悦しましたけれど、いったい、事実上、それを道庵先生自身が、どう処分するのか。
 このプログラム通り巡見するとすれば、かけ足で通っても十日はかかるだろう。前途日程、限りあるこのたびの旅路、それをどうする。
 そんなことはいっこう、頓着のない道庵――もてはやされると、いよいよ乗り気になるばかり。謙遜ということを知らず、辞退ということをわきまえず、遠慮ということに目のないこの先生は、魂が酒量と同じことに底抜けで、脱線がかえって本筋に通るのだから、始
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