で米友は、道庵ゆずりの霊魂不滅説を持ち出したのはまじめです。
女の人は、それには答えずに、さきへ立って無言に、塚の細道を下りにかかりました。
米友もまた、憮然《ぶぜん》としてそれに従う。
五十五
こうして米友は、不思議な女の人に誘われて、とうとう、鳴海本宿の、その宿屋まで伴われて来ました。
どのみち、明日は名古屋へ着くべき間柄だから、誘わるるままに米友も、今日は一泊という気になったのでしょう。
大和屋というのへ着いた時は、もう夕暮を過ぎて、夜の領分に入っていました。
この女の人が、宿へ着いたと見た時、宿の人の騒ぎは大きい。
「二十番のお客様がお帰りになった」
「お嬢様がお見えになりました」
といって、上を下へと騒ぐのを尻目にかけて、鷹揚《おうよう》に座敷へ上り、
「連れの方が出来ましたから、お洗足《すすぎ》を上げてください。お洗足がすんだら、わたしの部屋へ御案内をしてください」
その途端に、出逢がしらに、飛んで出たのは女軽業の親方お角でした。
「まあ、お嬢様、あんまりじゃありませんか、どのくらい心配したかわかりませんよ」
「それはお気の毒でしたね」
お気の毒を、よそ事のように言って、女の人が歩み出すと、お角は、むしろ呆気《あっけ》に取られたようで、
「それでもまあ、お帰り下すって安心を致しました」
お角さんの気象では、なぐりつけてやりたいほどのところでしょう。それを虫を殺して、なだめにかかる言葉の様子は、全く泣く子と地頭には勝たれないといったような表情でした。本来、そうまで下手に出るはずはなかろうに、先天的に、お角さんほどの女が、この人にだけは一目も二目も引け目を感ずるらしい。女の人はお角に命令するように言いました、
「あの、道でお連れのを一人見つけて来ましたから、今晩はわたしの座敷に泊めて上げるようにして下さい」
「あ、そうでございましたか、承知いたしました。さあ、お嬢様のお連れの方を、こちらへ御案内申しな」
といって、お角が女中に指図をし、自分もまた、この我儘《わがまま》な御主人(?)の引きつれた客人に粗相があってはならないという気持で、米友が草鞋《わらじ》を解いている上り口のところまで進んで来て、
「お疲れでございましたろう、さあ、どうぞ……」
ともてなしました。
草鞋を解き終った米友――女中が汲んでくれた盥《たらい》へ両足を突っこんで、そこではじめて笠を取りました。草鞋を解くよりも、笠を取る方を先にすべきなのに、この男は少しその手順を取違えたと見える。
笠を取って、なにげなく振向いた珍客の姿を、吊行燈《つりあんどん》の光で一目見たお角が、
「あっ!」
といって仰天してから、急にけたたましい声で、
「お前、友公じゃないか」
「え!」
米友もギョッとして、振返って見ると、立って自分を見下ろしている女――
「あ! 親方!」
米友が舌を捲きました。
「ばかにしてるよ、お前は友じゃないか、米友じゃないか、友しゅう[#「友しゅう」に傍点]だよ」
お角は、続けざまに、けたたましく叫びました。それは、腫物《はれもの》にさわるようにしていた、さいぜんの御主人様の引きつれた大切のお客様の一人とばかり思っていたのに、それが百も承知の意外な代物《しろもの》でしたから、驚愕と軽蔑が一度に噴出し、今までジリジリさせられていた癇癪《かんしゃく》が、この物体に触れて一時に爆発したもののようです。
「やあ!」
米友は、洗足《すすぎ》を忘れて、あっけに取られっぱなしです。
「まあ、どうしたんだい、お前」
お角は、いよいよ、すさまじい軽蔑の語気でいう。
「どうも御無沙汰をしちゃいましたね、親方」
米友が神妙に詫《わ》びる。
「なんだって、こんなところに、お前、うろついてるんだい、旅に出るなら出るように、あらかじめ、わたしんところへ渡りをつければいいじゃないか、お嬢様に取入って、わたしに出し投げを食わせるなんて、たち[#「たち」に傍点]が悪いよ」
「そういうわけじゃねえんだ、途中でなあ、つい、話合いになっちまったんだよ」
「まあ、いいから早く足をお洗い、友なら友のように、はじめっからそう言ってくれれば、こんなにあわてやしないよ」
見ていた宿の者が、お嬢様という人に対するのと、この従者に対するのとで、お角さんという人の言葉の当りさわりが、こうも違うものかと驚きました。
お嬢様がいなくなったというので、今まで、騒がせられたのは容易なものでない。それほど騒がせておいて、帰ってみれば一言の申しわけもなく、打通る大風にも驚かせられましたが、あれほど焦《じ》れて、ポンポン啖呵《たんか》をきっていた親方の女が、当人が現われてみると小言一つ言わず、腫物《はれもの》にでもさわるように御機嫌を取るのを見て、かえって歯痒
前へ
次へ
全129ページ中105ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング