お友達の弁信さん――面白《おもしろ》いですね、お雪ちゃんほどの娘さんが、まずたよりをなさろうというのに、故郷《ふるさと》や、親や、兄弟のことをおっしゃらず、まっ先[#「まっ先」に傍点]にお友達のことをおっしゃる。そのお友達こそ、ずいぶんのあやかり者だと思います。しかもそれが女のお友達じゃありませんね、弁信さん――の名が示すところによれば、男の方ですね、男もしかしどうやら俗界とは離れたような呼び名。なんにしても、まっ先に、あなたから呼びかけられる弁信さんは果報です。さだめて綺麗《きれい》なお寺小姓か、若い美僧で、忘れられない、あなたの昔なじみなんでしょう」
「ええ、全く、わたし、世の中に弁信さんほど、よい人は無いと思いますわ」
と、お雪が言い出したものだから、北原賢次が再び度胆《どぎも》をぬかれてしまいました。
「へえ、弁信さんてのは、そんなに、いい人なんですか」
「全く、この世の中に、あんないい人はありません」
「驚きましたねえ」
 北原の方がかえっててばなしになって、驚いてしまったが、お雪はいっこう平気で、
「ですから、わたし、毎日毎日、隙《ひま》さえあれば弁信さんに宛てて手紙を書いていますの。手紙ばっかり書いたって、出すたよりは無いでしょう、ですから、書いたきりの手紙がもう、こんなに高くなっていますのよ。でもいくら書いても書き足りないものですから、今でも、書く事のなくなるのを心配するよりは、こんなに毎日書いて、せっかく用意して来た紙がなくなりはしないかと、そればっかり心配になって仕方がありません」
「へえ――驚きましたね」
 北原賢次は三たび手放しで、あっけに取られました。
 しかし、北原はそだちがいいから、下品な冷やかしを打込む男ではありません。
「それはそうとして、お雪ちゃん、鳩の方はとにかく、この名古屋行の分を貸して差上げましょう、この鳩は、尾張の名古屋までしか行かない鳩だということを、忘れてはいけませんよ」
「それはただいま承りました」
「しからば、その弁信さんというのは、ドコにおいでなさるのですか」
「それは、わかりませんけれど……」
「その居所のわからない人のたよりを、名古屋へしか行かない言伝《ことづて》に頼んだところで、無益じゃありませんか」
「それでも、弁信さんは、しょっちゅう旅をしつづけている人ですから、もしかして、途中でこの鳩にでくわさないと
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