らまた一杯。
「あっ!」
ほとんど道庵をして、腰を立てるどころか、息をもつかせないほどの出来事で、札の辻の真中に腰を抜かし、醜態を遺憾なく曝した道庵は、盲《めくら》が壁を塗るような手つきをして、しばらくは、
「あっぷ、あっぷ」
と咽《むせ》ぶほかには、為《な》さん術《すべ》を知りませんでした。
そもそも、これは何という無惨なことでありましょう。例のプロ亀やデモ倉の、苦肉を以てのたくらみ、道庵を江戸からつけ覘《ねら》い、とうとうかかる下劣の手段で、闇討を決行してしまったものか、そうでなければ、先日の軽井沢の場合のように、道庵の親切が過ぎたための不慮の災難か、とにかく、こうして、前後左右から、つづけざまに水を浴びさせられた道庵は、一時、全く人心地を失い、腰が立てなくなって、陸上に溺没してしまったことですが、誰とてこれを助け起そうとする者もありません。
こういう場合に於ての宇治山田の米友――またしても危急存亡の場合に、英雄が居合わさない。
だが、この場合は全く軽井沢の場合と別に、一英雄が現われたとて如何《いかん》ともすべからざる事情であったのです。
それは、先生は知ってか知らずにか、とにかく、この場の水難は、これはなにも、江戸の敵《かたき》を名古屋で、という影武者があったわけでもなく、全く生命に危害を加えようという暴徒の所業でもなく、実は極めておめでたい慣例にひっかかってしまっただけのものです。
尾州の古俗に「水祝い」というのがある。上品なところでは婚礼が済むと、その家の門の前で、裏白《うらじろ》に水をつけて肩衣《かたぎぬ》へ少しずつ注ぎかける――それが身分に応じて、水の代りに「はぜ」を以てすることもある。夫人が奥で「水祝い」をする時には、金銀の砂子《すなご》を紙に包んで注ぐこともある。
小笠原家から出た水島家の伝書の中にも「水祝い」の礼物を記したのがある。
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「手桶一対――白絵に鶴亀、松竹を書く、本式は手桶十二――それに髭籠《ひげこ》――摺古木《すりこぎ》――杓子《しゃくし》」
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これによって考うれば、王朝時代から行われた「内火《うちび》とまりの寿《ことぶき》」という儀式と同じようなものであろうと言われる。
とにかく、この「水祝い」は二代光友の時までは行われ、家中奥向勤めの輩《やから》は、正月に御前で「水祝
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