たつにつれて、海が陸になり、陸が田になったのに違いありません。昔の人はあの波打際を歩いたのです、そうして海を見ながら、人の世の旅路のあわれを、つくづくと思いやったものに違いありません。いかに鳴海の潮干潟……ほんとに、この海が、どのくらい、古代の旅人を悩ませたかわからない」
と女の人が言いました。
「そうだろうなあ」
と米友が極めて無器用に合わせました。これが弁信ならば、右の女人の感懐に答えるのに、更に幾倍の感傷と、饒舌《じょうぜつ》とを以てしたでしょうが、米友には、その持合せがないから、勢い、その分をまで、女の人が受持たねばならなくなる道理です。
「古代の人は、海道に近く旅路を急ぎながら、海の波に足を洗わせながら、この涯《かぎ》りなく広い海をながめて通ったものでしょう。そこでたまらなく旅路の哀れというものを感じたのでしょう。赤壁《せきへき》の賦《ふ》というのにありますね、渺《びょう》たる蒼海の一粟《いちぞく》、わが生の須臾《しゅゆ》なるを悲しみ……という気持が、どんな人だって海を見た時に起さずにはいられないでしょう。まして、こんな物哀しい夕暮なんぞに、啼《な》きわたる千鳥の音でも聞きながら、海を見ると泣けるのも無理はないと思います」
「うむ……そうだろうなあ」
「それは、わたしが山国にばっかり育っていたせいではありますまい、誰でもその通り、海を見ると悲しくなるのです。哀れなりなにと鳴海の果てなれば……という歌もあの笠寺の額に書いてありました。いかに鳴海の潮干潟、傾く月に道見えて……と太平記にもありますね。ほんとうに高貴な地位にいた人が、囚《とら》われの身になって、今日か明日かの命の瀬戸に、この海辺の旅路を通る心持――それが思いやられずにはおられません」
「うむ……」
「兄さん、お前さん、旅をして歩いて、悲しいと思ったことはない?」
「あるよ、それはあるよ」
「悲しいと思った次に、ツマらないと考えたことはない?」
「そんなことも、あるにはあるようだ」
「ツマらないと思った次に、死んでしまいたいと思ったことはない?」
「さあ――おいらにゃあ、死んでるのか、生きてるのか、わからねえことがあるよ」
「そうですね、わたしたちだって、ほんとうに生きているのがいいのか、死んだ方がいいのかわからないことが、不断にありますよ」
「人は死んでも、魂というものが生きてるからなあ」
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