蔵もある、朱蔵《しゅくら》もある。井戸の間には深さ二十間、水深約一丈、底に黄金水を敷きつめたという御用井戸がある。そうして右井戸流しの間の東に階段がある、それを六段上って中台がある、その中台を九段上って、はじめて天守の初重の台に出るのだが、それを道庵先生は、どうして通過して来た?
第一、右の御金蔵の南には、封番人の番所があって、御天守を開く場合には必ず出役し、小人目付《こびとめつけ》一人八組、御中間《ごちゅうげん》が二人詰めているはずだが、その目をどうくらまして来たか?
さて、かりに、ここにはじめて天守の初重を踏んでみたとする。まず井桁《いげた》の間というのへ入る。中央の物置を通って水帳の間から、備附けの武器――たとえば二百張の弓とか、百本の長柄槍とか、唐金《からかね》の六匁玉の鉄砲とか、その鉄砲玉とかいうものの夥《おびただ》しく陳列された中を通って、再び井桁の間の東南隅に戻って、そこから階段を上って、第二重へ出る。
それから、ほぼ初重と同じほどな規模の第二重。
東側の中央の間の北側の段階から第三重に上る。
九室に分れた中の東北の室の北側の段階を登って、ここに第四重目に入る。
四重の東北の室の段階から五重の台。
五重はすなわち天上である。
ここに藩主の御成《おなり》の間《ま》がある。
これだけの関門を、道庵先生が、どうして突破して、ともかくも、その天守閣の上に立ったかということは、今に至るまで重大な疑問であります。
かりに、非常の特典があってみたにしてからが、初重まではとにかく、二重以上へは、御用列以下の者は藩主のお側衆《そばしゅう》としておともを仰せつかった者以外には絶対に上れないことになっているはずではないか。
それを、繰返すまでもなく、無位無官の一平民、しかもその無位無官のうちでも、最も安直な十八文を標榜して恥じないわが道庵先生が、どうして斯様《かよう》な特典を蒙ったかということは、わからない。まして、お客分として、この名古屋の城下へ来た道庵先生ではなく、注意人物の嫌疑者として、地下の獄に投ぜらるべく拘引されて来たはずの先生が、一躍して、天守の上へ舞い上って来ているということは、返す返すも、あざやかな脱線ぶりで、それを見る者、唖然《あぜん》として口のふさがらないのは無理もありません。
しかし、道庵自身にとって見れば、実にいい気なものです
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