うともなかろうとも、身を以て証拠立てようという気にもならない。丸山勇仙も主張はしてみたけれども、他の二人ともに気乗りのしないので、強《し》いて下ってみようとの冒険心もないらしい。
 そこで三人は、三すくみのような形になって立っていると、丸山勇仙が再び、最初のようなけたたましい叫びを立て、
「人が登って来る!」
 実証のまだ甚だあいまいであったこの岩角の通路を、下から確実に上って来る人がある。その白衣《びゃくえ》を三人ともに認めないわけにはゆかない。
 勝ち誇った勇仙は、
「それ見ろ――」
「うーむ」
 仏頂寺がテレ隠しに、非常に力《りき》んでみせました。
 ほとんど直角に近いほどの崖路。兵馬も、勇仙も、ひとたびは人間臭いと見て、二度目は自信を持てなかったその岩角の斜めについた足がかりを、のっしのっしと上り来《きた》る者のあることは、仏頂寺といえどももう争うことはできなかったが、それでも負惜しみに、
「人間じゃあるめえ、狸だろう」
 仏頂寺は悪態をつきました。
「どうだどうだ、仏頂寺、君は鼻も利《き》かないと思ったら、眼もいけないのかえ、人間と狸の見さかいが無くなったのかい、もう長いことはないぜ、かわいそうに」
 丸山勇仙が、仏頂寺をあわれむと、仏頂寺はふくれ出し、
「狸だい、狸だい、こっちから石を転がしてブチ落してくれべえか」
「よし給え、冗談《じょうだん》じゃない、下から上って来るところを、上からころがされてたまるもんじゃない」
「ちぇッ、くだらねえ奴だなあ」
 仏頂寺はいまいましげに、丸山は熱心に、兵馬は興味を以て、今しも上り来《きた》る人間そのものを注視していると、身が軽い、上から見たのでは、鳥ならではと思われる岩角の足がかりに軽く手をかけ、丈夫に足を踏んで、さっさと上り来って早くも三人の眼前に現われた時、何人よりも兵馬が驚嘆しました。
「鐙小屋《あぶみごや》の神主さん」
「おお、お前さんは、白骨の温泉で逢った若衆《わかいしゅ》さん。こなたは……」
 兵馬に挨拶した眼をうつして、仏頂寺を見た時に、仏頂寺はまぶしそうに横を向いて、いまいましそうに、
「ちぇッ、見たくもねえ」
「こいつは苦手《にがて》だ――嫌い物だよ」
といって、丸山勇仙も横を向いてしまいました。
 鐙小屋の神主はけろりとして、
「ここで、お前さん方にめぐり逢おうとは思いもかけなかった。お前さん方
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