るほど話しぶりが進んで来たが、そこへ来ると、どうしても動かなくなってしまいました。
 そこで、北原賢次がもて余しきった時に、お雪ちゃんが、
「先生、あなたが、大和の十津川とやらで、そんなお怪我をなすったということは、わたしは今まで存じませんでした」
「いいえ、お雪ちゃんにも話して上げたことはあるはずですよ」
「それでもお聞きした覚えがございませんもの」
「たしかに話して上げたはずなのを、お前さんが忘れてしまったのだろう」
「そうでしたか知ら……」
 お雪が無邪気に首をかしげた時に、北原賢次が三度四度、呆気《あっけ》にとられてしまいました。
 賢次は眼を円くして、なんだかかだかわからないような気配で、お雪と竜之助の方を、かなりの距離のあるところを、忙がわしく眼を急転させて、言句がつげないような有様です。
 陪席《ばいせき》を仰せつかっている村田も、どうも板につかないような気持に堪えられません。
 そこで、この両室の空気がいやに変なものになってしまったのを、竜之助は眼が悪いから見て取るわけにはいくまいが、お雪ちゃんという子が、そのままはいられないからとりつくろう気になって、
「上方《かみがた》の方では、しょっちゅう、いくさ[#「いくさ」に傍点]ばかりしているんですってね」
と言いますと、
「しょっちゅうというほどでもありませんがね」
と北原が答えました。
「いやですね、いくさ[#「いくさ」に傍点]なんて」
「戦《いくさ》も、時と場合によりけりでね、大義名分のために戦わなければならぬこともありますからな」
「戦《いくさ》をしないでも、何とか話合いがつきそうなものじゃありませんか」
「だって時と場合ですからね、今に上方《かみがた》の戦が江戸までやって来ますよ、お雪ちゃん」
「そうなると、日本中が、いくさ[#「いくさ」に傍点]になっちまうんですね」
「まず、そんなものです、お雪ちゃんの故郷だという甲州なんぞも、当然捲き込まれてしまいますね」
「でも、この白骨までは来ないでしょう」
「さあ、日本中が戦《いくさ》になっても、ここまでは舞い込んで来ますまいね、第一、大砲《おおづつ》が通りませんからな」
「ほんとうに、わたしたちは仕合せです、いつまでもこの白骨におりましょう、ねえ、先生、あなたも、たとえ、お眼がなおっても、二度とふたたび戦に出ることなんぞはおよしあそばせ」
 この時、
前へ 次へ
全257ページ中63ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング