はじまったことではないから、心配する方にも覚えがある。仔牛の方はそうはゆくまい。熊か、狼にでも食われたか、牛盗者《うしぬすびと》か、後生者にか――血眼《ちまなこ》になって騒いでいるに相違ない。
「お前を柱木《はしらぎ》の牧場まで送ってって上げる」
茂太郎は、仔牛の頭を撫《な》でながら、房総第一の高山を下りにかかりました。
房総第一の高山を下ると、そこに柱木の牧場があります。
柱木《はしらぎ》の牧場は、嶺岡《みねおか》の牧場の一部で、その嶺岡の牧場というのは、嶺岡山脈の大半を占める牧牛場――周囲は十七里十町余、反別としては千七百五十八町余、里見氏より以来、徳川八代の時に最も力を入れ、南部仙台の種馬、和蘭《オランダ》進献の種馬、及び、天竺国雪山《てんじくこくせつざん》の白牛というのを放ったことがある。
仔牛を送って、柱木の牧場まで来た清澄の茂太郎、
「番兵さん、チュガ公を連れて来たぜ」
「チュガ公を……そういうお前は、芳浜の茂坊じゃねえか」
牧場は、軍隊組織になっているわけではないが、この番人は、陸軍の古服でも払い下げたものか、いつも古い軍服を着ているものだから、茂太郎は、番兵さ
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