が、もうこれより上へのぼるところはないからここで止まったのだ。上へのぼるところがありさえすれば、雲の上へでも、空の上へでも、登ってしまったかも知れない。しかし、ここまででさえ上って来て見れば、鹿野山よりも、鋸山《のこぎりやま》よりも、清澄よりも、まだ高いらしい。
 本来、こんな高い所へ登ろうと企《くわだ》てて来たのでもなんでもなく、今もいう通り、誰もとがめる人がないから、興に乗じて、ついここまで来てしまったのだ。今になってはじめて、洲崎の陣屋をかなり遠く離れて来ていることと、日というものが全く暮れてしまっていることを悟りました。
 牛に向って教訓を試みたことによって、はじめて我が身に反省することを知り、わが身に反省してみると、
「ああ、そうだ、そうだ、お嬢さんが待っている、あたしも早く帰らないと悪い――」
 茂太郎に父母はいないらしいが、彼の身を心配する人が無いというはずはない。
 兵部の娘が心配する。そこで茂太郎は、
「さあ帰ろう、牧場では、きっとお前を探している、あたいだって、誰か探しているかも知れないが、あたいの方は、今日はじめてじゃないんだから……」
 全く茂太郎の脱走は、今に
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