いまでも、尊氏に祭り上げられるだけの器度(?)はあった。小栗にはそれが無い。
 すべて歴史に登場する人物というものは、運命という黒幕の作者がいて、みなわりふられた役だけを済まして引込むのに過ぎないが、西郷は、逆賊となっても赫々《かくかく》の光を失わず、勝は、一代の怜悧者《りこうもの》として、その晩年は独特の自家宣伝(?)で人気を博していたが、小栗は謳《うた》われない。
 時勢が、小栗の英才を犠牲とし、維新前後の多少の混乱を予期しても、ここは新勢力にやらした方が、更始一新のためによろしいと贔屓《ひいき》したから、そうなったのかも知れないが、それはそれとして、人物の真価を、権勢の都合と、大向うの山の神だけに任しておくのは、あぶないこと。

         七

 駒井甚三郎は最初の日の偵察によって、この海に沈んでいるところの船について、大体、次のような知識を得ました。
 船の大きさは日本の千石――あちらの百トン程度のものであること。
 帆走《はんそう》を主として、補助機関が附してあること。
 機関室が船の中央になくして前部にあること。特にその機関が――旧式の外輪でなくして、スクリューによ
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