ませんでした。
 そこで、ウイリアムはよく西洋人には見える名だから、ペンというのは筆のことで、つまり、これは「ウイリアム手記」というような記号ではないかとさえ思いました。そんなように考えながら、一通り読み了《おわ》った駒井は、それを最初から好奇心を以て覗《のぞ》いていた田山の手に渡しますと、
「ははあ、全部横文字ですね、癪《しゃく》にさわるなあ。いったい、何を書いてあるんです」
と言いながら、半ば好奇、半ばイマイマしさに、それでもまだ負けない気を眼の中に湛《たた》えて、たとえ横文字とは言いながら、一字や、一句は、どうにかならないものでもあるまいと見つめていると、駒井の説明には、
「予想と違って、海流の調査でもなければ、漂流人の合図でもなし、そうかといって、ジャガタラへかどわかされた婦人が、危急を訴えたという種類のものでもなし――西洋人の船の中で、誰か消閑《しょうかん》のいたずらでしょう。しかし、いたずらにしても無意義なものではありません、かなり、厳粛な格言になっているようです」
「ははあ、何と書いてあるんです。残念だなあ、こればっかりは泥縄では役に立たない、附焼刃では歯が立たない……」
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