く、その中には多分の同情を含んだ会釈《えしゃく》を以て慰め面に、
「お前たちが見たというスッテンドウジは違うよ、性《しょう》がわかってるよ、驚くには当らねえよ」
「爺《じい》、お前《めえ》、知ってるのかい、あのスッテンドウジを……」
「は、は、は、お前たちが黒灰の浦で見たというのは、髪の毛の紅い、眼のでっけえ、海ん中に浮袋を持って、浮いたり沈んだりしていた奴だろう。あれは、スッテンドウジじゃねえのさ、おらが家のお客様だよ」
「え、お前《めえ》んちのお客様?」
「そうさ、もうやがて、ここへ帰って来るから見てえろ」
「鮪取《まぐろと》りの善さんじゃねえだろな」
「違うよ、全く別のお客様だよ」
「そうか、ほんとうにお前んちのお客様かえ。でも、大江山のスッテンドウジにそっくりだったぜ。お前んちにあんなお客様が、どこから来ていたんだ」
 その時、真向うの畑道から、問題のスッテンドウジが抜からぬ面《かお》でやって来る。

         四

 来て見れば、これは極めて結構人《けっこうじん》らしい一個の西洋人で、東造爺に向って何か一言二言いっては、大きな面をゆすぶって、にやにやと笑っているところ、どうしても恐怖ではなく、滑稽の部に属しているものですから、力瘤《ちからこぶ》を入れた子供たちも安心して、傍へ寄って来て、しげしげとながめます。
 浮袋を片手にさげ、多分重し[#「重し」に傍点]につけて海へ沈んだものだろうと思われる鉄の玉を下へ置いたマドロス氏は、炉辺に有合せの丼《どんぶり》を取り上げると妙な手つきをして、小屋の後ろの方を指さし、何をか哀願するような表情をしつつ出て行ってしまいました。
 恐怖から解かれて、好奇ばかりになった子供たちは、あとを慕《した》ってついて行って見ると、小屋の後ろの桃の木の下につないであった一頭の牝牛《めうし》のところへ来て、右の異人が、
「ハウ、ハウ」
と、妙な叫びを立てました。
 そこで、何をするかと見てあれば、マドロス君は徐《おもむろ》に牝牛の下に手を入れて、その大きな乳房を撫でてみているうちに、丼を下へあてがって、乳をしぼりはじめたものです……その乳がなみなみと丼の上に溢《あふ》れ出した時分、それを無造作に自分の口もとへ持って来て飲んでしまいました。
 口もとまで来る時分、何をするのかと心配して見ている子供らは、毛唐人がそれを一息にグッと飲んでしまったものだから、驚嘆の叫びを立てないわけにはゆきません。この子供たちのあいた口がふさがらない先に、またも一方の乳房をとらえて、しぼりにかかりました。
 この勢いでは、この牝牛の乳をみんな絞って、みんな飲んでしまうかも知れない、牛の子の飲むべき乳を――人間が横取りして飲んでしまうなんて、なるほど、毛唐というものは随分ひでえことをするなあ――という表情が、子供たちの面《かお》に現われる頓着もなく、再度の丼《どんぶり》はことごとく飲みつくされてしまいました。
 それで多分、渇きが止ったのでしょう、悠々《ゆうゆう》として陣屋の方へ引返して来る。子供は、やっぱりそのあとについて戻る。
 幸いに、ここは町並を少し離れたところでしたから、わいわい連《れん》があまりたからなかったものの、それでも陣屋のあたりが、ようやく物さわがしくなってきました。
 マドロス氏は、そこで無雑作《むぞうさ》に板の間張りの上へあがり込んで、数多《あまた》の職人の中を分けて――車大工の東造爺がいるばかりではなく、ここにはなお幾多の若い職人が働いて、同じように皆、驚異の眼をマドロス君に向けている中を、ニヤニヤと笑いながら通りぬけて、一方の板の衝立《ついたて》の蔭の、誰にも姿を見せないところで、急ごしらえの椅子テーブルに身をもたせ、お手の物のマドロスパイプに火をつけてすまし込みました。
 この時分になって、スッテンドウジの宣伝が利《き》き出したものか、この陣屋敷のあたりへ、むやみに人が集まって来る気配《けはい》でしたから、東造爺は気を利かして冠木門《かぶきもん》の戸を締めきってしまいました。
 門の外で体《てい》よく食い留められた連中は、汐時《しおどき》がよかったせいか、強《た》って見せろと乱入する者もなく、暴動を起して不平を叫ぶこともなく、まあ、明日という日もあるから、見られる時はいつでも見られる、そう急《せ》くなよ、といったような面《かお》ぶればかりですから、穏かです。
 その時分、日もようやく傾きはじめて、海の方へ落ちた余光が、あざやかに、この古陣屋の屋根の上の兵隊草をまで照らして来ました。
 陣屋の中では、車大工とその数人の弟子たちであろうところの者が、静まり返って仕事をしている時分、門の外に佇《たたず》んでいた近隣の人たちが、
「そら、お役人様が来たぞ」
「お役人様じゃ無《ね》え、やっぱり、
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