文を認《したた》めて、固く封じ込んで、海の中へ投げ込むと、これが漂い渡って、思わぬ人の手に拾い取られる、その拾い取った人は、投げ込んだ主《ぬし》に返事をしてやる――という仕組みになっている」
「あ、そうですか、つまり、平康頼《たいらのやすより》の鬼界《きかい》ヶ島《しま》でやった卒塔婆流《そとばなが》しを、新式に行ったものですね。そうだとすると、相当に面白い浦島になるかも知れません、封を解いて見せていただきたいものです」
 田山も、好奇心に駆《か》られて、馬から飛んで降りました。
 駒井甚三郎はナイフを取り出して、流れ罎の口をあけようと試みながら、
「海に関係のある職業の人が、海流を調査するためにこれをやったのか、航海中、船客が戯れに投げ込んだものか、或いは漂流者か、誘拐者《ゆうかいしゃ》なんぞが、危急を訴えんがために、万一を頼んでやった仕事か、いずれにしても、この罎の中には、何かの合図があるに相違ない」
と言いました。
 田山白雲は額《ひたい》を突き出して、駒井のなすところを見ていたが、駒井は巧《たく》みに罎の口をあけると、それをさかさまにして、程なく一通の紙片を引き出しました。
「ありましたね」
「ホラ、何か書いてあります」
 空罎は下へ投げ捨て、駒井はその紙片をとりのべて見ると、そこに横文字の走り書がある。
 最初から駒井は、これは、航海用の事務としてやったものではないと思っていました。
 海流調査かなにかのためにやるんならば、もう少し仕事が器用で、事務的に出来ていそうなもの。どうも素人《しろうと》の手づくりで、臨時に投げ込んだもののようだから、たしかにこれは、漂流の人の手に成ったものか、そうでなければ誘拐の憂目《うきめ》に逢うた人が、訴えるにところないために、やむを得ずこの手段に出でたものだろうと想像していました。
 しかるに、その現われた紙片の文字が横文字であったものだから、少しばかり案外には思ったが、横文字だからとて、その想像が外《はず》れたということはない、横文字で危難を訴えたり、危急を叫んだりすることはいけないという規則もない――問題はその意味を読んでみることです。
 駒井は、仔細にその横文字を読んでみると、英語で次の如く認めてあることを発見しました。
[#ここから1字下げ]
It is the great end of government to support power in reverence with the people and to secure the people from the abuse of power; for liberty without obedience is confusion; and obedience without liberty is slavery.
[#ここで字下げ終わり]
 駒井は、これを一通り読んで後に、最後の署名で頭をひねりました。
 その署名は William《ウイリアム》 Penn《ペン》 と読むよりほかはありません。それはそれに違いないが、このウイリアム・ペンという名は、この文句を唱え出した人の名だか、或いはこの流れ罎[#「流れ罎」に傍点]を投じた人の名だか、その辺がよくわかりません。
 だが、いずれにしても、この短い文句は、ウイリアム・ペンなる人の頭脳か、筆蹟かの産物であるに相違ない。或いは、ウイリアム・ペンという人の著作かなにかの中の文章を抜き書したのかも知れないと思いました。
 しかし、その当時の駒井は、どうもウイリアム・ペンという著名なる学者著作者の名前を知りませんでした。
 そこで、ウイリアムはよく西洋人には見える名だから、ペンというのは筆のことで、つまり、これは「ウイリアム手記」というような記号ではないかとさえ思いました。そんなように考えながら、一通り読み了《おわ》った駒井は、それを最初から好奇心を以て覗《のぞ》いていた田山の手に渡しますと、
「ははあ、全部横文字ですね、癪《しゃく》にさわるなあ。いったい、何を書いてあるんです」
と言いながら、半ば好奇、半ばイマイマしさに、それでもまだ負けない気を眼の中に湛《たた》えて、たとえ横文字とは言いながら、一字や、一句は、どうにかならないものでもあるまいと見つめていると、駒井の説明には、
「予想と違って、海流の調査でもなければ、漂流人の合図でもなし、そうかといって、ジャガタラへかどわかされた婦人が、危急を訴えたという種類のものでもなし――西洋人の船の中で、誰か消閑《しょうかん》のいたずらでしょう。しかし、いたずらにしても無意義なものではありません、かなり、厳粛な格言になっているようです」
「ははあ、何と書いてあるんです。残念だなあ、こればっかりは泥縄では役に立たない、附焼刃では歯が立たない……」
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