ここから2字下げ]
参ろうや、参ろうや、ハライソの寺に参ろうや、ハライソの寺とは申すれど、広い寺とは申すれど、狭い広いはわが胸にあり
[#ここで字下げ終わり]
と、いいかげんな節をつけて、お能がかりにうたい出すと、手をのばして般若の面を扇子《せんす》のように抱え込み、三番叟《さんばそう》を舞うような身ぶりで舞いはじめました。
 それが済むと、ガラリと変った烈しい身ぶりになって、
[#ここから2字下げ]
ハライソ、ハライソ、サンタマリヤ
ハライソ、ハライソ、サンタマリヤ
[#ここで字下げ終わり]
 これが踊りといえるか知らん、単に身体《からだ》の躍動だけに過ぎないのでしょう。
 でも曲折に巧妙な点はある。左の手は面をかかえ込んで、自由が利《き》かないものですから、右の手を高く上げたり、裏返したり、また体をクルリと後ろへ向けたりするところなんぞに、いかにもいい形を見せることがあります。
 伴奏としては、ハライソ、ハライソ、サンタマリヤを、単純に繰返すことだけに過ぎないが、興に乗って、身ぶり、足どりが烈しくなるほど面白い形を見せて、砂の上のしめりを含んで和《やわ》らかいところを、縦横無尽に踊って踊りぬいて、自分ながら加速度に興が加わるのを禁ずることができないようです。
 単純なようで、変化もあるし、第一、当人が興に乗って、充実しきっているから、自分も踊りながら、見ている人をも、その陶酔に誘い入れずにはおかないのだから、兵部の娘も引入れられてしまい、
「茂ちゃん、わたしも踊るわ」
 こちらの方から、盆踊りにある手ぶりで、兵部の娘が踊り出して来ました。
 さんざんに踊って、踊り疲れた茂太郎は、そのまま以前の岩の上に来て腰を卸《おろ》してしまうと、舞台はおのずから、兵部の娘ひとりに譲られたことになる。
 その時、兵部の娘は盆踊りの手ぶりから、本式の踊りになって、しとやかに浦島を踊っているのを、茂太郎は汗をふきながら一心に見ているのは、その手を覚え込もうと心がけているのか、或いは自分のガムシャラの踊りに比較して、その長所と、短所とを、総評的に見ているのかも知れません。
「茂ちゃん、もっとお踊りよ」
「お嬢さん、あなた、もっと踊って見せて下さい、今のは浦島でしょう、今度は老松《おいまつ》かなにかを」
「生意気な子だよ、老松が何だか、知りもしないくせに」
「知ってますからね」
「では、お前、踊ってごらん」
「見ていればわかるけれども、自分じゃ踊れませんよ」
「出鱈目《でたらめ》の踊りなら、いくらでも踊るくせに。さあ、おいで、今度は二人で、威勢のいいところを踊ろう」
「何を踊りましょう」
「何をって、お前のなんぞはみんな出鱈目じゃないか、何でもいいように踊り、あたしの方で合わせるから」
「それじゃ、潮来出島《いたこでじま》を踊りましょう、でなければ、さんどころ、さんどころ」
「何でも勝手に踊りなさい、さあ」
 兵部の娘がさしのべた手をとった茂太郎は、やっぱり般若の面を左の小腋《こわき》にして立ち上ると、勢いよく、
[#ここから2字下げ]
いざやさんおき
津島の参りてさんならさんなら
さんどころ
エイサノエイサノエイ
[#ここで字下げ終わり]
と足拍子面白く踊り出したから、兵部の娘もそれに合せて、茂太郎の手を引いたまま、道行《みちゆき》ぶりで踊り出しました。
 友は持つべきもの、弁信法師がついていれば、こうまで有頂天《うちょうてん》にはなるまいに。
 片手の自由が般若の面に殺されているのに、片手は兵部の娘に取られているものですから、茂太郎は身体《からだ》だけで丸太ン棒のハネるように、ハネ踊るのがおかしくもあり、窮屈千万でもあるようでしたから、兵部の娘も少しからかってやる気になり、海の水がさして来たところで、握っていた手をキュッと締めて軽くつき放すと、
「あっ!」
といって被害を受けたのは当人ではなく、寝るから起きるまで、後生大事《ごしょうだいじ》の般若の面が、あっという間もなく、腋《わき》の下から放れて飛びました。
 その途端、面《かお》の色を変えた茂太郎は、それでも幸いに般若の面が海の方へ落ちないで、砂の上へ飛んだものですから、ホッと安心して拾いにかかるのを、兵部の娘が横合いから取り上げてしまいましたから、茂太郎は、
「いけないよ、いけません、ほかのいたずらと違いますよ、もし、海の方にでも落ちて流れてしまってごらんなさい、かけがえが無いじゃありませんか」
 心から恨めしげに、手をさしのべたが、兵部の娘は、それを高く差し上げて返しません。
 茂太郎はよりかかって手を伸ばす、兵部の娘は反身《そりみ》になって、それをいよいよ渡すまいとする――そのすぐ後ろは海です。波がもう兵部の娘の踵《かかと》を嘗《な》めている。
「あぶないよ」
「あぶない!」
 どち
前へ 次へ
全32ページ中29ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング