大級の人格を誰にも認められておりましたが、日蓮の社会的地位は比較になりません」
「そうでもないでしょう、あの通り強烈に、時の権威に抗し、一代に活躍した大人物の行為を、誰が認めなかったと言います」
「それは、ある方面を騒がせたり、てこずらせたり、もてあまさしめた強烈なる行動は、その当時の相当の注意を惹《ひ》いたに相違ありませんが、その認められ方、注意の惹き方というのが、到底、法然上人のそれと、比較になるものではありません」
「どうして」
「法然上人という人は、その生ける時に、知恵第一ということを公認されておりました。この知恵第一というのが正銘の意味で、当時の学界を総べての第一人者であったのです。単にその宗門においての第一の学者というだけではありません、あの時代のあらゆる方面において、法然《ほうねん》は第一等の学者でありました。ほとんど生涯を専門の学問に没頭したその道の権威が、その道のことを、法然に教えられねばならなかったということは、事実に違いありますまい。単に学者としてだけでも、法然は当時の最高地位にあって、誰もその地位を争い得るものが無かったのです」
「そうして」
「それから、学者としてでなく、単に社会的地位において、尊敬せられたことも比類がありません。親しく帝王の師となり、法筵《ほうえん》の時は、後白河法皇よりさえ上席を譲られていました。学者だから、社会的地位が高いから、それで偉大なる宗教家だという理由は少しもないが、少なくとも、この二つのものは、日蓮に無いでしょう」
「それは無論です」
と、田山白雲が昂然《こうぜん》として肯定しながら、言葉をつづけました。
「それは無論です、日蓮が朝廷貴紳の寵児《ちょうじ》でなく、東国の野人であることを、いまさら洗い立てをする必要がどこにあります、そんなことは比較になりません、比較したって、なにも、少しも両者の優劣、尊卑、大小に関係したことじゃありません」
「まだ結論に行っているわけではありません、単に、逐一《ちくいち》比較してみようとしているだけのものですから、そのつもりでお聞き下さい」

         二

 二人は談論に我を忘れて、九十九里の浜辺に馬を歩ませて行きました。
 談論に我を忘れているのは、単にこの二人の上ではない。いったい、この二人が九十九里の浜辺に相並んで馬を歩ませているとはいうが、九十九里も長いのに、
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