あの毛唐人の仲間らしいよ」
 二騎|轡《くつわ》を並べてこの場へ来合わせたのが、駒井甚三郎と田山白雲です。

 こんな面ぶれが相前後して、こんなところへ事々しく集まって来たという理由は、ふとした聞きかけが最初でありました。
 これより先、駒井甚三郎が、このたびの造船に当って、何物よりも苦心しているのは、蒸気機関の製造であったことは、前に申した通りです。
 他の部分は、ほとんど完全に設計が出来、順調に工事も進行し、大砲の据附《すえつ》けでさえが、駒井の知識と、技能を以て、立派に完成の見込みがついたのにかかわらず、蒸気機関だけは苦心惨憺を重ねて、未《いま》だその曙光を見ないという有様であります。
 これは、その当時の日本としては、全く不可能のことであり、駒井が不可能ならば、無論、日本の国のどこへ持って行っても、可能のはずがないことは、何人よりも、当人自身が熟知しているところです。
 最初の計画は、必ずしも、機関を要せずとも、帆力《はんりょく》を応用することによって成算を立てたけれども、どうしても補助機関が欲しくなるのは道理である。
 そこで無謀に近い熱度を以て、駒井が自身その製作――というよりは、創造よりも困難に近い仕事に当ろうと決心したのは、一日の故ではありません。
 彼は、これがために、この忙しい間を、石川島の造船所へ行ったり、相州の横須賀まで見学に出かけたりしましたが、駒井が時めいている時ならばとにかく、今の地位ではその見学も思うように自由が利《き》かないのか、途中から専《もっぱ》ら書物によることにして、蘭書や、英書のあらゆるもの――それは幸いに、自分が在職中に手をのばし得る限り買い求めておいたから、それによって工夫を立てることに立戻りました。
 とはいえ、こればかりは、いかに駒井の優秀な頭脳を以てしても、一年や半年の間に捗《はか》を行かせようとしたことが無理で、駒井も、今はほとんど絶望の姿で、どのみち、機関無しの最初の構造に、逆戻りするほかはあるまいとあきらめるばかりです。
 かく諦《あきら》めながらも、それでも彼の不断の研究心が、未練執着を断ち切れなかった時――偶然にも、彼の手許《てもと》へ新客となったマドロス君が、無雑作に、今の駒井の胸をおどらすようなことを言い出しました。
 それは、この銚子の浜のうちの「クロバエ」という浦へ、先年、ある国の密猟船が吹きつけ
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